Blue Rain

家に飛び込んできたカラスは、どんなにえさを与えても、食べようとはしなかった。

「死んでしまうのかしら?」
エヴァは心配そうに言った。
「・・・野生だから・・・人の手から食べ物を与えられるのになれていないかもしれないね」
ミッターマイヤーは妻を気遣いつつ、そう言った。
「では、死んでしまうの?このまま・・・」
「・・・わからない」
「そんなに、命よりも、自分の誇りのほうが大事なの?」
・・・その言葉に、ミッターマイヤーは眉をひそめる。
・・・エヴァは、カラスのことを言っているのだ。
しかし。


大きめの鳥かごの中で、カラスが息絶えていた、その日。
朝からフェザーンは大雨。
どちらかと言えば砂漠に近い、と言っていい気候のフェザーンでは珍しいことだった。
そして、ウォルフガング・ミッターマイヤーの姿は宇宙艦隊司令本部にはなかった。


「来てないって?」
ビッテンフェルトがうめく。
彼は、ミッターマイヤーに決裁を仰ぐ書類が出てきたので、わざわざここまで足を運んだのだが。
「自宅はいつものように出られたのだそうです」
バイエルラインも、当惑したような表情をも見せる。
「まあ、あいつもがきじゃないんだからな。30すぎの大人だぞ。そう心配することはあるまい?」
「しかし、銀河帝国の宇宙艦隊司令長官でいらっしゃいます。もしものことでも・・・」
「あいつに限って、そう言うことはない」
「そうおっしゃいますが・・・」バイエルラインの心配は続く。
「まあ、おれも気をつけておこう。きっとそのあたりで昼寝でもしているに違いない」
「この大雨の中、お昼寝ですか?」
「・・・あいつはそういうやつだ!」
ビッテンフェルトは大声で叫ぶ。「大きな声で叫んだ方が正しいんだ!」と言わんばかりの態度で。
・・・その二人の姿を見て、ビューローが苦笑する。
もちろん、笑っているような状況でないのかもしれないことは、ビューローにもわかっているのだが。
・・・しかし、銀河帝国の上級大将と大将の会話とは思えない。

ビッテンフェルトには、彼なりの思いがある。
誰にも話さなかったことだが。

あれは、回廊の戦いが終わって、すぐのこと。
ブリュンヒルドの通路で、ビッテンフェルトはロイエンタールと会った。
お互い、階級も上がり、なかなか話す機会もない。
そのときも、話せたのは、10分か、15分か。

とりとめのないことを話した。
これからのイゼルローンのこと、ロイエンタールが赴く、新領土のこと、そして。
「ミッターマイヤーとは話したのか?」
「いや、先日一緒に飲んだ。それで充分だ」
そう言って、ロイエンタールは小さく笑った。
「卿は、ミッターマイヤーのことになると、そんなに優しい顔ができるのにな」
「・・・何か言ったか?ビッテンフェルト」
「いや・・・長い駐留になるのだろう?」
「ああ」
「しばらく、会えんわけだな」
「そうなるな」
そのまま、二人、黙り込む。
やがて、二人は握手をして別れる。

別れの時、ロイエンタールは確かにこう言った。
「おれがいない間、ミッターマイヤーを頼んだぞ」

ビッテンフェルトにとって、それが遺言になってしまった。
いや、そうではなかったのかもしれないが、少なくともビッテンフェルトはそう思った。

あの日以来、ミッターマイヤーは変わった。
いや、もちろん表面上はいつものミッターマイヤーの顔を崩そうとしない。
しかし、彼の中で、確かに何かが壊れてしまっている。
『ミッターマイヤーを頼んだぞ』その一言が、少々重い。
(おれはなにもできないでいる)
そういう、彼らしからぬ思いが、ビッテンフェルトを支配している。


午後になっても、ミッターマイヤーからはなんの連絡もない。
・・・こうなると、何かがあったとしか思えない。
それがミッターマイヤー自身の意志なのか、そうでないかは、この際関係ない。
宇宙艦隊司令長官がその所在を半日も明らかにしない。これは事件になりうることだ。
「・・・とにかく、お前は休暇届けを出しておけ。ついでに俺の分の休暇届を出しておいてくれ。俺が探してくる・・・首に、首輪つけてでも連れ帰ってくる」
ビューローにそれだけいうと、ビッテンフェルトは急ぎ足で外へ出ようとする。
「お待ちください、ビッテンフェルト提督。心当たりはおありですか?」
ビューローにそう言われ、ビッテンフェルトは足を止める。
「ん?・・・あ、いや・・・」
「きっとロイエンタール提督と過ごされたところにおられる・・・そういう気がするのですが」
「あいつ・・・そんなに女々しくないだろう?」
そうかもしれない、と心の中で思いつつ、反対のことをビッテンフェルトは口にする。
「いえ、きっとそうです。なんとなく、そういう気がします」
「そうか・・・心当たりがあるのか?」
「ロイエンタール提督のご自宅にはもう人をまわしてありますが・・・おいでになっていないそうです」
「じゃあ、どこだ?」
「以前、ベルゲングリューンに聞いたのですが・・・なんでも、以前お二人ですごされた別荘がおありだとか・・・」
「・・・なるほどな・・・で、それはどこだ?」
「実は、場所までは聞いてないのです。しかし、フェザーンには珍しく水が豊富な場所だと聞いています」
「なら、あの湖のほとりだろう」
ビッテンフェルトは、そう結論付ける。・・・心当たりがある。
彼も、知り合いに懇願される形で、その湖のほとりの一角に別荘を買い求めた。
・・・といっても、彼は一度も利用したことはないが。
フェザーンの市街地から、わずかに地上車で一時間。しかし、風光明媚な別荘地だ。
「行ってみよう・・・この雨だ。もしかしたら、湖も増水しているかもしれない。
もしもあそこに行っているのなら、危険だ」
「わかりました」
「・・・一緒に来るか?ビューロー?」
「いえ、私は・・・閣下がそこに行っていないことも考えられますので、ここで」
「・・・わかった。何かわかったら、すぐに連絡をいれる」
「・・・お願いします」
ビューローは頭を下げる。
・・・この男は、昔から変わらないな、ふと、ビッテンフェルトはそういうことを思う。

雨足が、ひどくなってくる。
フェザーンでは本当に珍しい、大雨に関する警報も出ているらしい。
湖のほとりの別荘地にも、増水した水が迫っている。そのせいか、人通りはまったくない。
(きっと、どこかにいる)
そう確信し、ビッテンフェルトは車の中から人影を捜す。
・・・まさか、湖に飛び込む、なんてことはあるまい。
そこまで弱い男ではない、とビッテンフェルトは信じている。

しかし。
『ミッターマイヤーを頼む』
(・・・ロイエンタール、まだ、お前の所に行くには、ミッターマイヤーは早すぎるぞ!)
一人胸の中でそうつぶやくビッテンフェルトである。


ミッターマイヤーは、雨の中、たたずんでいる。
・・・ロイエンタールと過ごした、湖のほとりの別荘。
主のいない別荘は、扉を固く閉ざされている。
・・・なにを、期待したのだろう?

えさを食べることなく、まっすぐに、威嚇するような瞳でこちらを見るあのカラスが、なぜかいとおしかった。
もういない、彼の親友に似ているような気がした。
誇り高き、けして人に屈することのない、猛禽。
そして、そのカラスが彼と同じように、自ら死を選んだ時、ミッターマイヤーの中で、何かがはじけたような気がした。
・・・いや、違う。
あいつは、自ら死を望んだのではない。
望んでいたかもしれないが・・・手を下したのは、自分なのだ。

・・・気がつくと、この別荘に来ていた。
傘も持たず、雨に濡れるに任せて、ミッターマイヤーはただ、たたずんでいる。
鍵のかかった思い出のコテージは、彼と、彼の思いのすべてを拒否しているかのような気がした。
「ロイ・・・ロイエンタール・・・」
そう、小さく、つぶやいてみる。・・・答えは、ない。
・・・雨に打たれて、身体が冷えてきたのかな?感覚が徐々になくなってきている。
こんなところにいてはいけない・・・あいつは、『カイザーを頼む』と言ったではないか。
しかし・・・。

自分の、混乱した感情をもてあまし、ミッターマイヤーは目を閉じる。

そのとき。肩をつかまれる感覚に、ミッターマイヤーは目を開ける。
「・・・ビッテンフェルト・・・」
「おい、こんなところで、なにをしている?」
「・・・」
「お前、馬鹿か?風邪引くぞ」
「・・・馬鹿野郎・・・おれは、死ねないんだ・・・」
「なに?」
「あいつと約束したから・・・」
うなされるように、ミッターマイヤーがつぶやく。
「なら、よけいにこんな所におれまい!いくぞ!」
「・・・いやだ」
「え?」
「ここにいたい・・・」
「・・・この、頑固野郎!!」
言うが早いが、ビッテンフェルトは目の前の窓ガラスを拳でたたき割る。
人ひとり、いや、二人は通れるようになると、そこからコテージの中にミッターマイヤーの小柄な身体を押し込む。そして、自分もコテージの中へと転がり込む。

(まずは身体を温めることだ。このままでは風邪を引いてしまう。肺炎にでもなられたら・・・)
ビッテンフェルトは手探りで室内の明かりのスイッチを探り、明かりをつける。
「濡れた上着を脱げ!どこかに服か、毛布か、あるかもしれん、捜してくる」
「ビッテンフェルト・・・」
「なんだ?」
「二階の客用寝室に、おれの服が置いてある・・・はずだ」
「わかった、とにかく濡れた服は脱げ」
そういうと、ビッテンフェルトは二階へと急ぐ。

濡れた上着を脱ぎ、ミッターマイヤーはぶる、と一つ震える。
・・・身体が、冷えている。寒い。
暖まるものを・・・そう思い、もうなれてしまった室内を見渡す。
・・・リビングの隅にある、ポーカー用のテーブルに、ワイングラスが二つ置いたままにしてある。それが、ミッターマイヤーに、もういない親友を思い起こさせる。
(おれとオスカーの、最後のポーカーだったんだな・・・)

この別荘で過ごした、最後の日々。
二人きり、遅くまでポーカーにふけった。
最後はコインがなくなり、賭けるものがなくなってしまったミッターマイヤーに、ロイエンタールはこう言ったのだ。
「貸しにしておいてやろうか?」
「馬鹿野郎・・・いつ返せるというんだ?」
「なあに、数年はすぐだ」
そう言って、笑った親友。
「なんなら、ハイネセンから飛んできてやるぞ」
「新領土総督が、たかがポーカーの貸しを返してもらうために任地を離れるのか?」
「それもまたおれらしくてよかろう?」
そう言いながら、新しいカードを配り始める、友。

結局、その日は夜通しポーカーに明け暮れてしまった・・・。

そのときの、そのままのテーブル。同じワイングラス、そして、同じワイン。
ミッターマイヤーは空のグラスを手に取り、そっと香りをかぐ。
・・・香らないはずの、ワインの芳醇な香りがミッターマイヤーの鼻をくすぐる。
(お前、ここに来たのか?)
そう、ひとりつぶやいてみる。もちろん、答えの返ってこようはずもない。
テーブルの上の赤ワインは、ロイエンタール秘蔵の年代物だ。
そっと封を開け、ロイエンタール愛用のグラスにつぐ。
ワインは、血の味がする。
(これは、ロイエンタールの、血)
そう思いながら、ワインをぐいと飲み干し・・・グラスを思いきり床にたたきつけた。
グラスは割れることなく、床を転がる。
「・・・ロイエンタール!・・・ロイエンタール!ロイエンタール!」
ミッターマイヤーは、狂ったようにその名を叫ぶ。
涙が、自分の意志に反してあふれ出てくる。
いつまでも、いつまでも、その名前を呼び続ける・・・・・・。

気がつくと、ビッテンフェルトが着替えを持ってたたずんでいた。
「・・・ああ、すまない・・・取り乱してしまって・・・」
懸命に冷静さを装い、声を震わせまいとしながら、それだけをやっとつぶやく。
「いいさ、たまにはそういうことも必要だ」
「・・・はは」
ミッターマイヤーは力なく笑う。
そんなミッターマイヤーに、ビッテンフェルトはわざとぶっきらぼうに言う。
「ほら!着替えだ。さっさと脱いで着替えろ」
「ありがとう」
「いいって・・・おい」
「なんだ?」
「お前・・・口の端、切れてるぞ」
「え?」
いわれてミッターマイヤーは気がつく。さっきの赤ワインがついているのだ。
「これは・・・」
赤ワインだ、そう言おうとして、ミッターマイヤーは口ごもる。
・・・ビッテンフェルトがミッターマイヤーに近づき、口の端に残る赤ワインをそっとふき取ってやる。
「・・・おい、なにをしているんだ?」
「・・・子どもみたいに、こんなものいつまでも顔につけてるんじゃない。お前、いくつになった?」
「33・・・あいつと、同じになった・・・もう、あいつは、おれを、追い越せない」
「・・・」
ビッテンフェルトは何も言わない。
ただ、ミッターマイヤーを抱きしめる。
「・・・やめろよ」
ミッターマイヤーがビッテンフェルトの腕の中で、小さく抵抗する。
「・・・なぜ?」
ビッテンフェルトは、しかし、ミッターマイヤーを離そうとしない。
「お前らしくないだろう?」
「ロイエンタールが」
「え?」
「・・・ロイエンタールが、おれに言い残していった。お前を頼む、と」
「・・・・・・」
「それに、これが一番温まる。お前、冷え切っているぞ」
「・・・ビッテンフェルト・・・」
「どうした?」
「いや・・・なんでもない」
そのまま、疾風ウォルフと敵からは恐れられ、味方からは敬愛される帝国軍一の勇将はビッテンフェルトの胸に顔を埋める。
・・・涙が、止めどもなく、流れてくる。

いつの間にかビッテンフェルトの大きな腕の中で、ミッターマイヤーは小柄な体を震わせて泣きじゃくっていた。
ビッテンフェルトは、なにも言わず、そんなミッターマイヤーを抱きしめていた。
赤ん坊をあやすように、背中を優しくなでながら。

雨が小降りになってきた。
二人は、無言のまま、地上車に乗り込む。
ビッテンフェルトが、ミッターマイヤーーにたばこを勧める。
「おれはたばこは吸わない」
「いいから」
言われるままビッテンフェルトからたばこを受け取り、その銘柄がロイエンタール愛用のものであることに気がつく。
「これ・・・」
「いいから、吸え」
「うん」
子どものようにミッターマイヤーはつぶやき、たばこに火をつけてもらう。
「・・・お前な」
ビッテンフェルトが、いつになく優しい声色でささやく。
「うん?」
「忘れろなんて、おれはいわんぞ。・・・無理なことはわかってるから」
「・・・ああ」
「あのとき、おれも、ワーレンも、一緒になって戦っていた」
「ああ」
「お前ひとりで殺したんじゃない。おれと、お前と、ワーレンと・・・3人だ」
「・・・・・・」
「死ぬまで忘れずにいよう。そう知れば、あいつの魂はいつまでもヴァルハラに行けはしないぞ」
「そうかな?」
「ああ、そうだ。3人で、あいつの成仏を邪魔してやろう」
「勝手なことを言う」
「そうかもな・・・いかん!」
「どうした?」
「お前のことを、ビューローも、バイエルラインも、心配しているというのに!
おれはまだお前が見つかったことを連絡してなかったぞ!」
ミッターマイヤーはクスリと笑う。
「いいじゃないか。もう少し心配させておこう」
「いいのか?」
「たまには、な・・・」

ビッテンフェルトは、地上車を動かし出す。
無言の二人を乗せて、地上車が、フェザーン市街地にむかって走っていく。

助手席で、ミッターマイヤーはシートに深く身を沈めていた・・・が、やがて、小さな寝息が聞こえてくる。
ビッテンフェルトは、蜂蜜色の髪をそっとなで・・・正面を向く。

雨の匂いが、二人を包んでいく。


BGM:ベルゴレージ「スターバト・マーテル」

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お友だちのリクエスト、「ビッテンフェルトとミッターマイヤー」「雨」です。
本来は裏のための作品ですが、こちらにも改訂した上でUPします。