真冬の桜

「ミッターマイヤー元帥、桜を見に行きませんか?」
ミュラーから突然そう言われて、ミッターマイヤーはとまどった。

「桜?」

「そう、桜です・・・桜の木の下で、花見酒でもしゃれこみませんか?」
「酒を飲むのはいいが・・・・・・」
ミッターマイヤーは苦笑しながら言う。
「この寒さだ。」

そう、今日は12月16日。
あいつの命日だ。

「そう言えば、毎年春になると、あいつと桜を見に行ったよな・・・」

「心をを作り損ねた」
そう言うあいつのために、いろんなところを連れ回した。
そんな中でも、あいつはなぜか桜が気に入っていた。
春になると、いつも桜を見に行っていた。
あいつの好きなワインとチーズを手に。

春の暖かい日差しと共に、今も鮮明によみがえる記憶。


しかし。

・・・こんな冬に、桜など咲いていようはずがない。


「そう言わずに、一緒に来てください。いいものをお見せしますよ」
弟のようにかわいがっている砂色の瞳と髪を持つ青年に、ミッターマイヤーは弱い。
ああ言われると、気まぐれにつき合ってやろうか、という気分にもなるではないか・・・。

黙っているのを了解の意味に取ったらしい。
ミュラーはにっこり笑って言った。
「では、あとで執務室までお迎えに上がります」
そして、にこにこと楽しそうに歩いていく。
「絶対に驚かれますよ、元帥」
最後にそう言いながら。

・・・あいつ、あれでも元気づけているつもりだな。
ミッターマイヤーは苦笑する。
一年たち、もういい加減に心の傷とやらも癒えてきている、と自分では思っているのだが。
・・・いや、自分で自分にそう言い聞かせているだけかもしれない。
その日はいつになく執務が滞ることなく進んだ。
「今日はお休みになられてはいかがですか?」
彼を気遣ってそう言ってくれるらしいバイエルラインに、しかし、ミッターマイヤーは笑って言うだけだった。
「休む理由がない。記念日でもなければ、休日でも祝日でもない」
その穏やかな、しかし、何かを拒むような表情に、バイエルラインも、ビューローも、なにも言えなくなった。
その結果、幕僚全員が執務室にただよう重苦しい空気を払いのけるようにデスク・ワークに専念し、いつになく効率的に仕事を処理できたのだ。


ミュラーは6時きっかりに執務室にやってきた。
手にワインとチーズを抱えて。

「暖かい食べ物はないのですが、ワインで暖まるでしょう」
コートに身を包み、ミュラーはそう言って笑った。
「しかし、寒いぞ」
ミッターマイヤーもコートを着込み、ぶるっと体を震わせる。
「今夜は雪だそうです。積もるかもしれないと天気予報では言っていました」
「雪か」
暖かく乾燥した気候のフェザーンでは、雪が降ること自体が珍しい。
「わかったぞ、卿の言う桜が」
ミッターマイヤーが灰色の瞳をほころばせて言う。
「雪を桜吹雪に見立てるつもりだろう?」
ミュラーは少し表情をほころばせた。
「そんなのではありませんよ。行けばわかります」
そして、ミッターマイヤーの前に立って歩き出す。
ミッターマイヤーは後を追うように歩き出す。
「どこに行く気だ?」
その問いに、ミュラーは笑って答える。
「フェザーン商科大学のプロムナードです」
「ああ、あそこか」

数千本の桜が春になると咲き誇る、桜の名所だ。


「桜の樹の下には屍体が眠っている!これは信じていいことなんだよ。
何故って、桜があんなにも見事に咲くなんて信じられない事じゃないか。」


むかし耳にした、小説の一節をふと思い出した。

読書など読書感想文の宿題が出たときにしかしたことのないミッターマイヤーを笑いつつ、ロイエンタールが桜の木の下で読んでくれた、その小説の一節。

「なんだ、それは?」
「『桜の樹の下で』という小説の一節だ」
「ふーん・・・」
「爛漫と咲き乱れる桜の樹の下には、一つ一つ、馬や犬猫や人間の屍体が埋まっている。腐乱した屍体からは水晶のような液が垂れ、桜の根がその液体を吸っている・・・」
「・・・・・・」
「だから桜の花はああも美しく、はかないのだそうだぞ」
「・・・よく知っているな。卿がそこまで花に詳しいとは思わなかったぞ」
ミッターマイヤーの彼には珍しい皮肉めいたその言い方に、ロイエンタールは苦笑で応える。

「まだある。桜の花の下で死ぬと、人は安らかに死ねるのだろうだ」
「あんなに美しい花なのに、不吉な言い伝えばかりだな」
「美しいから、不吉な言い伝えが多いのかもしれんぞ、ミッターマイヤー」
「・・・そう思うのか?」
「・・・・・・」
ロイエンタールはそのまま、なにも言おうとしなかった。
ミッターマイヤーはそのまま、ロイエンタールの美しい横顔を眺めていた。
(美しいから・・・不吉か・・・)

「ああ、そういえばおれも知っている」
ミッターマイヤーがロイエンタールの方を向いて言う。
「桜の言い伝えがあった。もっと楽しいやつだ」
「なんだ?」
「桜の花がついたままの枝を集めて、根本で燃やすと願い事がかなうそうだ」
「・・・・・・」
「どうしたんだ?」
「火遊びは叱られるぞ、ウォルフガング坊や」
からかうようなロイエンタールのその言い方に、ミッターマイヤーは思わず頬をふくらます。
ますます子どものようになった顔を見て、ロイエンタールは吹き出してしまう。

「笑うな!」
「・・・いや、すまん・・・お前、いくつになった?」
「うるさい!!」
ロイエンタールは嬉しそうにしている。ミッターマイヤーはまたふくれてみせる。
「・・・なんだ!にやにやして!!」
「いや、お前は聞いてくる言い伝えまでお前らしいのだなと思っただけだ」
「は?」
「いや、なんでもない」
そう言うと、また嬉しそうな顔をする。
そして、ミッターマイヤーの蜂蜜色の髪をくしゃくしゃにかき回す・・・。

子猫のようにじゃれ合っていた、あの日々。
「元帥、どうされましたか?」
ミュラーの一言に、ミッターマイヤーは我に返る。
「ああ、すまない、ミュラー・・・ちょっと昔のことを思い出していた」
「着きましたよ」

そこにあったのは、ミッターマイヤーの想像通りの、灰色の枝だけが残った桜の木。
「これで花見か?」
ミッターマイヤーが苦笑すると、ミュラーがいたずらっぽい瞳になる。
「元帥、わたしについてきてください」

10分ほど歩いただろうか・・・?

二人は大学の構内に来ていた。
やがて、ミュラーが一本の木を指さして言う。

「ほら、元帥。桜の花です」
ミッターマイヤーの目に飛び込んだものは・・・。
あるはずのない、満開の桜。少し紅がかった、美しい・・・。


『桜の樹の下には屍体が眠っている・・・』


ミッターマイヤーの脳裏によみがえったのは、あの日ハイネセンで見た、鮮やかな血の色。

「ヒマラヤ桜というんだそうです。毎年冬の初めから12月下旬ぐらいまで咲くそうです」
ミュラーの説明が、ミッターマイヤーの耳に届いたか、どうか。
「・・・飲もうか、ミュラー。きっとあいつもここにいる」
「え?」
「桜の樹の下には死体が埋まっているから美しいんだそうだ。きっとこの樹の下には、あいつが埋まっているんだ。だから、今頃咲いているんだろうな・・・」
そして、独り言のように言う。
「お前、そんなにおれが寂しがると思ったのか?だから今頃、こんなに狂ったように赤い花を咲かせたのか?馬鹿野郎。おれはそこまで弱くないぞ・・・」

そして、ミッターマイヤーの頬に、一筋、水晶のような光るものが流れる。

「そこまでおれのことを思ってくれるなら、なんであんなことをしたんだ・・・どうして、死んだんだ・・・」

雪が舞う中、紅い花びらが静かに散っていく。

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真冬に咲くヒマラヤ桜という桜があるそうです。

その桜の存在を聞いたときに、真っ先にこの話を思いつきました。

「桜の花の樹の下で」は梶井基次郎氏の同名の小説から一部引用
しています。

写真は日本でも見られる「ヒマラヤ桜」です。