夏休み

アウトバーンを飛ばして3時間半。
標高900メートルのそこは、真夏でも気温が30度を超えることは珍しく、有数の避暑地。
都会のうんざりするような暑さから離れ、一時の休息を求めて―。

ひんやりとした風が木葉の上を揺らす。
霧の名残のしっとりとした空気が肌に心地良い。
俺は、昨夜から親友の別荘に泊まりにきている。
休暇は今日からだが、昨日の執務を終えたその足でここに来た。
いや、連れてこられたといったほうが正確だ。
といってもこちらについた頃にはもう夜も深まっており、忙しい執務や連日連夜のうだるような暑さにより溜まった疲れとそれらからの開放感で、着いた早々酒も飲まずに寝てしまったのだが……。
ふと気配を感じて後ろを振り向くと、両手にマグを一つずつ持った長身の親友が立っていた。
「Bitte」と差し出された片方を「Danke」と受け取って一口。深い苦味とすっきりとした酸味が広がる。
緑の葉の上には未だ朝露を残し、風に吹かれ緩やかに揺れさわさわと音を立てる木々。差し込んできた朝日が露に反射し、目を細めそれを眺めながらゆっくりとコーヒーを飲む。
まだ早い時間にもかかわらずどこか騒がしいのは、避暑地であり観光地であるこの街ならでは。穏やかさと賑やかさの調和。それがこの街独特の空気なのだろう。日常では考えられない風景。そんな朝の時間に溜め息する。
「どこか行きたいところはあるか?」
この街は初めてなのだろう?とロイエンタールが聞いてきた。
「行きたいところ…?何せ初めての街だからなぁ。卿に任せるよ」
「御意に従いましょう」
おどけて言ったロイエンタールは悩むでもなく朝食は近くのカフェでとり、午前中は店を見て回り、昼食はどこかで買って外で食べ、午後はゆっくりと辺りを散策するというプランを提案してきた。
こいつのことだから、きっと前々から考えていたに違いない。
でも
「夜はどうするんだよ?」
どうするのか聞いていない。きっとどこか店を予約してあったりするんだろう。
質問への答えは
「内緒、だ」

「うーん、気持ち良いなー…」
ころん、と草の上に横になる。
ロイエンタールが朝食に連れて行ってくれたカフェはメインストリートのちょうど真ん中辺りにあった。クレープ屋の二階にあって、小さいけれど白壁に木目のテーブルが落ち着いた雰囲気のカフェ。グリーンアスパラとスモークサーモンのラップが美味かった。
その後はロイエンタールのプランに従って通りの雑貨屋なんかを見てまわり、立ち寄った食料雑貨店で昼食用のソーセージやパン、ワインを仕入れた。途中でフロマージュというなんともわかりやすい名前のチーズ専門店を見つけて入ってみたら試食させてくれたチーズが絶品で、店の親父さんもいい人だったから意気投合してついつい話し込んでしまった。
この街は古い教会などの建築物も有名だそうで、それらも見てまわりながらロイエンタールの言う「昼食にもってこいの場所」に向かった。
辿り着いたのはなだらかな傾斜の草地の中に大きな木がゆったりとした間隔で立ち並ぶ森。その先は大きな池を囲んだ公園になっていた。いろいろゆっくりしていたせいで着いた頃には昼食には遅い時間になってしまっていたけど、そのおかげでちょうどいい具合に腹もすいていたし、仕入れてきた食料はどれも満足のいくものだった。
標高が高いだけあって、日差しは下界より幾分強いが風はさらっと爽やかで木陰に入れば暑さを忘れる。こうして寝転んでいると風が運ぶ草の匂いに、ついうとうとしてしまう。
しばらくはぽつりぽつりと話をしていたが、そのうちに風に誘われるまま、眠ってしまったらしい。

「ミッターマイヤー、起きろ」
揺すられて目を覚ましたときには空が茜に染まる時刻になっていた。
「少し、歩かないか?」
促されるままに歩いた。オレンジ色の森は木が密集した鬱蒼とした森ではなく、家路を急ぐ野ウサギがひょっこり顔を出しそうな、そんな雰囲気。
森の中の小道では池のほうへ向かう人々と擦れ違った。女性は髪を結い上げて見慣れないが涼しげな服を着ている。足元は黒塗りのサンダルのようなもの。気付かないうちに目で追ってしまっていたのだろうか、ロイエンタールがあの見慣れない服は「浴衣」で黒塗りのサンダルは「草履」というらしいとを教えてくれた。
綿で出来ていて、主に夏に着るこの地方の伝統的な服なんだそうだ。なんとも風情のある格好だ。
そんなことを話しているうち辺りは蒼に色を変え始めた。どこまで歩くのだろう、そう思い始めたとき、急に視界が開けた。目の前にはただ草原が広がっている。
「そろそろか…?」
ロイエンタールが腕時計を見ながら呟いたそのとき―。
「わぁ…」
空に大きな華が咲いた。
音と共に開いては散っていく色とりどりの大輪の花を、声もなく見上げる。時間さえ忘れて…。
最後の花がぱらぱらとかすかな音を立てて散った後も俺たちはそこに仰向けに寝転んだままだった。

飲みすぎの火照りをテラスに出て醒ます。
テーブルの上に小さな音を立ててカップが置かれると、コーヒーの香ばしい匂いが漂う。
「Danke」
「Bitte」
二人で夜風にあたりながら、しばらく無言でコーヒーを飲む。静かな夜に虫の音が響く。
「今日は…」
お気に召していただけましたか?と静寂を壊さない声量で問うロイエンタールに、同じ声量でもちろん、と返した。
さわさわと涼しい風が吹き見上げた空には星が降り注がんばかりに輝いて辺りを照らす、静かな夏の夜。
短い夏休みの夜は更けていく。

あとがき

すっきり爽やか夏らしいものを目指して見事玉砕。
毎日毎日暑くてうんざりな双璧さんに避暑地で爽やかな夏休暇を過ごしてもらおうと試みて…
こんなものが出来ました。
まだまだ暑い夏。厳しい残暑が続いていますが、みなさまどうかお体ご自愛くださいまし。


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みつえより
神楽さまのサイト「にじのしずく」で無料配布(笑)されている小説をいただきました。夏休みの双璧です。
すてきな小説をありがとうございました!


花火を見るのは大好きです。
ぱっと広がって消えてしまう一瞬の美しさが、小さいときから好きでした・・・・。