ユリアン・ミンツが初めてその敵将の存在を意識したのは彼の保護者によってだった。
「これが名将の戦いぶりというものだ」
と、彼の師父は敵将であるその男を褒め称えた。
ウォルフガング・ミッターマイヤーがその少年を初めて認識したのは、
少年がその師父の跡を継ぎイゼルローン共和政府とやらの司令官になった日であった。
「大変だな」
と、ミッターマイヤーは皮肉ではなしにそう思った。
それから数年。
少年は青年になり、師父の志を継ぎ歴史家になろうか、とぼんやりとではあるが考えている。
帝国軍の双璧とうたわれた勇将は、その宇宙へと翔けるべき翼を静かにたたみ、
柄にもあわぬ「政治家」という役割を演じている。
その酒場はかつていくらかの揶揄を込めて「後(ヒンター)フェザーンと呼ばれていた。
少なくとも自分たちがここにいたときはそうだった。
かの魔術師によってこの要塞が同盟のものとなったとき、その酒場がなんと呼ばれていたかは知らない。
もっとしゃれた名前がついていたかもしれない。
今もその酒場は当時と同じ場所にあるが、今ではあまりにも印象の薄い、
一度聞いただけでは忘れてしまいそうな名前になっている。
この思い出深い酒場に、今、ウォルフガング・ミッターマイヤーはいる。
だれも自分に注意を払うものはいない、そうは思うが、やはり人目が気になると言えば気になる。
しかし、自分はどうしてもこの酒場で「彼」と話をしたかったのだ。
「・・・遅くなってすみません」
その声に振り向くと、彼の待ち人がいた。
自分よりも背の高い、亜麻色の髪の青年。
「わざわざすまないな、ユリアン・ミンツ君」
自分で「下手」と自覚している同盟公用語でそう言うと、
「いえ、こちらこそ、ここまでわざわざご足労いただいて感謝しています」
と、以前よりも遙かに上達した帝国公用語で返ってくる。
ちょっと躊躇したが、帝国公用語に切り替えて話をする。
「ここは思い出があってね。どうしてもここで飲みたかった」
「どんな思い出ですか?」
「・・・ちょっとね。友人との古い思い出だ」
友人。それがだれを意味するのかは、言われなくてもユリアンには分かっていた。
だから、あえて聞かない。
「ここには来たことは?」と、蜂蜜色の髪の国務尚書が聞く。
「イゼルローンには長くいたのですが、ここには来たことはありません」
「ヤン提督は?」
ミッターマイヤーはかつて敵として戦った敵将の名前を口にする。
「提督は、・・・どうでしょう。おそらく来られなかったと思います」
そう言えば提督と外で飲んだことなどなかったな、とユリアンはぼんやりと考える。
ヤン・ウェンリーはいつもぶつぶつ言いながら
自室でユリアンの入れてくれる「紅茶入りのブランデー」を飲んでいた。
ユリアンが少し大人になり、アルコールが許可されてからは、
一緒にワインを自室で楽しんだこともあった。
しかし。
「どこかの店で一緒に飲んだ」という記憶がない。
ふたりの前に、ミッターマイヤーが注文したウィスキーのロックが置かれる。
(あれ?確か彼はワイン党だったと聞いているけれど・・・)
そんな思いで見つめていると、不意にミッターマイヤーが笑う。
「・・・今日は、ちびたちの誕生日なんだ」
ちびたち、と急に言われて、少しの間ユリアンは考える。
そして思い当たる。
ミッターマイヤー家の、父親が目に入れても痛くないほどかわいがっていると評判の双子だ。
そしてその誕生日と言えば。
ユリアンが知っている事実は、そう多いとは言えない。
あの日、ハイネセンに着いたミッターマイヤーを待っていたのは、
物言わぬ存在となった親友。
そして、彼の前に置かれた二つのウィスキーの入ったグラス。
ハイネセンを発つとき、この帝国軍の至宝は、静かに親友のために泣いたのだという。
「そうなんですか。・・・そんな日に、いいんですか?」
「そんな日だから、急にここで飲みたくなったのさ。・・・ウィスキーは嫌いか?」
「いえ。あまりお酒は飲みません」
ミッターマイヤーはおもしろそうに笑う。
「そう言うところも、ヤン・ウェンリーに習っているのか?」
「・・いえ、提督はよくお酒をお飲みでした」
『ユリアン。お酒ぐらい好きに飲ませてもらえないかな?』
だだっ子みたいにそう言われていたっけ。そんなことを、ユリアンはふと思い出す。
目の前の琥珀色の液体が、ゆらり、と少し揺れる。
「ヤン・ウェンリーという人物と会ってみたかったな」
ミッターマイヤーがつぶやく。
「話をしてみたかった。意見が合うとは思えぬが、意外と分かり合えたかもしれん」
「おそらく提督も、帝国軍の双璧と会ってみたかったと思っていらっしゃいます」
「では、今頃ヴァルハラでご対面だな」
ヤン・ウェンリーと誰が、とは言わない。
「卿らの天上と、我らの天上が同じなら」
「・・・違いはないでしょう?」
「そうだな。我ながら、らちのないことを言う」
ミッターマイヤーは苦笑する。
その笑顔があまりにも子どもっぽく見えたので、ユリアンもつい笑ってしまう。
『敵将の方に好印象を持ってしまうのは・・・』
と、かつてヤンが苦笑混じりに言っていたことを思い出す。
自分もそうだ。目の前にいる人は、かつて自分たちが戦った、
そして自分たちの知古を多く殺した男のはずだ。
なのに、好意とも言える感情を持ってしまうのはなぜだろう?
「ヤン提督はお昼寝が好きでしたから、天国でもお昼寝されているのではありませんか?」
「お昼寝?」
「ええ。・・・それか、本に埋もれた生活を送っていらっしゃるかもしれません」
「軍人には見えない、とミュラーが言っていたな」
「うだつのあがらない学者のように見える、と言う人もいました。寝たきり司令官とも」
そう言ってから、しまったとユリアンは思う。
しかし、ミッターマイヤーは冗談だと受け取ったようだ。
「おれも寝たきり中年の生活を送ってみたいよ」
「閣下がですか?なにをおっしゃるんですか」
「昔は仕事の合間によく昼寝をしていたよ。
ローエングラム元帥府の庭には大きな木がたくさんあって、そこで」
「外でですか?」
「ああ、ぽかぽかしていて、気持ちがよかった」
昼休み、エヴァがバスケットいっぱいに入れてくれたサンドイッチと、コーヒーと。
そして、食後のまどろみ。
行方不明になった大将閣下を決まって捜しに来てくれたのは、彼の親友だった。
『起きろ、ミッターマイヤー。お日様はこんなに高いぞ』
そういって、彼は、ミッターマイヤーにしか見せない笑顔を見せてくれた・・・。
魔術師と呼ばれた、同盟の不敗を誇る司令官は、いつも2時間きっかり昼寝をする。
ユリアンは、彼が起きる頃を見計らって紅茶の準備をする。
目覚められたら、すぐに目の前に湯気の立ったおいしい、飲み頃の紅茶。
『おいしいよ。あいかわらずユリアンは名人だな』
そう言われるのが何よりも嬉しかった・・・。
「提督は司令官室でも、艦橋でも、時々眠っておいででした」
「・・・それは。余裕だったんだな」
「そうじゃなくて、あの、戦闘がないときだけで、その・・・」
ユリアンは赤くなって否定する。その様子がおかしくて、ミッターマイヤーはまた笑う。
子どものような笑顔だ。
「では、卿のイゼルローンの思い出は、ここではなくて司令官室にあるのか」
「・・・そうですね」
「行くか?」ミッターマイヤーがいたずらっぽい表情を見せる。
「え?どこへ?」
「司令官室さ」
「え?」そんなことができるのですか?ユリアンがそう問うと、
「イゼルローンの司令官室には、今、ワーレンがいるはずだ。彼に連絡を取ってみる」
驚くユリアンを尻目にミッターマイヤーは慣れた手つきで高級軍人専用の携帯用通信機を操作する。
「まったく、バイエルライン達が『閣下が宿舎にいない』と青い顔をしていたぞ」
ワーレンが子どもを叱るような口調で言う。
「言うな。後フェザーンに行きたくなったんだ」
「そう言う自由がきく身だと思っているのか?」
「今日は特別だ」
ミッターマイヤーはわかるだろう?という顔をする。
ワーレンは何も言えなくなる。
「・・・・・・卿は、人の弱みにつけ込むのがうまくなったな」
「政治的配慮と言ってくれ。ヘル・ミンツを連れてきた。しばらく部屋を借りるぞ」
そう言うと、どこで買ったのか、410年もののワインを見せる。
「・・・」ワーレンは開いた口がふさがらない。
ユリアン・ミンツがハイネセンを発ち、イゼルローンに向かったことは報告があっていた。
ワーレンは少し驚いた.
しかし、今のユリアンは政治的には身を引き、著作にいそしむ生活をしていると聞く。
今回の訪問も、ヤン・ウェンリーの思い出をまとめるためのいわゆる取材旅行だと理解し、
一応監視をつけておくにとどめたのだった。
そのユリアンが、なぜミッターマイヤーと一緒にいるのだ?
ワーレンのそう言う疑問に、いつもの笑顔で口封じをしてしまったミッターマイヤーであった。
司令官室は変わらない。
元々その性質上、調度品に個人の嗜好が入り込むことが少ない空間だ。
ヤン・ウェンリーが座っていた机(!)や、昼寝をしていたソファがそのままにしてある。
まるであの日のようだ。
「ユリアン、分かったぞ!」
そう言いながら、ヤン・ウェンリーが今でも飛び出してきそうな気がする。
「すまんな、おれにつきあってもらって」
グラスにワインを注ぎながら、ミッターマイヤーがつぶやく。
「誰かに、おれにつきあって欲しかったんだ。それがなぜ卿だったのかわからんが・・・
きっと、卿も、おれも、ここで多くのものと出会って、多くのものを託されて・・・」
そして、失って。
ミッターマイヤーが託されたものは、『カイザーを頼む』と言う一言。
そして、帝国の未来。
ユリアン・ミンツが託されたものは、民主主義の小さな灯火。
そして、多くの人の心。
「思いは、きっと変わらん。そう思ったら、卿と飲んでみたくなった」
託したものの思いか。託されたものの思いか。
どちらとも、なのだろう。ユリアンはそう考えた。いや、考えたかった。
思いに、そう違いがあろうはずがない。
「・・・議会、というものを、開こうと思っている」
ミッターマイヤーがさらりと、しかし、ユリアンにとっては思いがけないことを言う。
「ただし、だ。卿の言う民主主義がどうたらこうたらと言うこととは違う」
「どう違うんですか?」
「思いは変わらない、と、今、卿も言っただろ?おれの思いと、卿らの思いと」
「はい」
ユリアンはなんとなく、ミッターマイヤーの言わんとすることが分かったように思う。
ミッターマイヤーは皇帝の地位を確実なものにするため。
自分たちは、民主主義の灯火を消さぬため。
「思いに変わりがないのなら」
そう言ったままミッターマイヤーは何も語ろうとしない。
黙ってワインを飲み干す。
ユリアンも何も言わず、ワインに口を付ける。
「卿はどうするのだ?」
しばらくしてやっと口を開いたミッターマイヤーが言ったその問いに、
ユリアンは即座に答える。
「変わりません。ヤン提督のやってきたことを見つめ、ボクなりにまとめたいと思っています。」
「政治家にはならないのか?」
「提督がぼくに託されたのは、そんなことじゃないと思っていますから」
「そうか、そうだよな」
少し酔いが回った口調で、ミッターマイヤがつぶやく。
自分に言い聞かせるように。
「閣下はどうされます?」
その問いにミッターマイヤーは笑って答える。
「おれか?おれは変わらんさ。このままだ。あいつに託された思いを抱えていく」
そして、だれにともなくつぶやく。
「・・・・・・ヤン・ウェンリーと飲み明かしてみたかったな・・・」
ヤン・ウェンリーに、何を語ってみたかったのか。
それは分からずじまいだったが。
「ブランデー入りの紅茶、飲まれます?」
ユリアンが、ミッターマイヤーのそれと同じような口調で言う。
「何だ、それは?」
「ヤン提督がお好きでした」
「いただこうか」
ユリアンは慣れた手つきでティーセットを用意し、紅茶を入れる。
カップは、3つ。
司令官室に紅茶の香りが漂う。
ヤン・ウェンリーが近くにいて、紅茶の香りを楽しんでいる、そんな気がした。
BGM:「亜麻色の髪の乙女」 by ドビュッシー
あとがき
ゆう様、ごめんなさい!みつえの才ではこれが限度です。