めでたき まことの御方 処女マリアよりお生まれになった御方 あなたは まこと 苦しみを受け 犠牲となられた 十字架の上にて 人のために あなたの脇腹は刺し貫かれ 水と血が流れ出でた わたしたちに道を指し示すものとなってください。 死の試練の時に From W.A.Mozart ”Ave Verum Corps” |
「ファーター、ファーター、すごいこと見つけたよ」 学校から帰ってくるなり、フェリックスが叫ぶ。 フェリックス・ミッターマイヤー、11歳。 今年小学校を卒業し、中学校(ハウプトシューレ)に進学した。 幼年学校に、との声もあったが、 「人生を決めるのはもう少し後でいい」 というミッターマイヤーの一言で中学校に通うことになったのだ。 中学生活にも慣れ、友だちもできつつある。 そんな秋の日のことだった。 旧自由惑星同盟への訪問を終え 久しぶりに自宅にいたミッターマイヤーは 居間の椅子にすわりうたた寝をしていたが、 フェリックスの声にゆるゆると目を開ける。 フェリックスは成層圏の瞳をきらきらさせている。 よほどおもしろいことを発見したらしい。 「どうしたんだ、フェリックス」 「音楽の授業があったんだ」 「うんうん」 「音楽の先生が、いろいろな音楽を聞かせてくれたんだ。 ファーターも、ぼくも、ヨハネスもいたよ」 「はあ?」 「地球時代の作曲家の名前だよ」 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。 ヨハネス・ブラームズ。 フェリックス・メンデルスゾーン。 「確かにな」 音楽年表を見て、ミッターマイヤーがうなずく。 自分の名前が音楽家の名前と同じことはよく知っていたが、 息子達もそうだったのか。 こうなると「ハインリッヒ」という名前の音楽家がいるかどうか調べてみたくなる。 ハインリッヒ・ランベルツは士官学校を卒業し、ミュラー元帥の幕僚として、 かつてのミッターマイヤーがそうであったように宇宙を飛び回っている。 なかなか家に帰ってこないのは、仕方がない。 戦争状態はではないので戦闘の危険性はないが、 宇宙海賊や地球教の残党との戦いがいつ起こるかわからない。 そんな中、ハインリッヒはなかなかの武勲をあげている。 自分やかの親友のようにとんとんと出世するというわけではないが、 着実に自分の地位を上げている。 今日はハインリッヒに手紙でも書こうか。 そう思いつつ、早速ホームコンピュータのスイッチを入れ、 3人の音楽家の作品を聞いてみることにする。 前時代の楽器群の、なんともいえない素朴な響きが部屋に広がる。 珍しく音楽など聞いている夫のかたわらに エヴァンゼリン・ミッターマイヤーが来て、 コーヒーのお代わりをそそぐ。 部屋で遊んでいた双子が、物珍しそうに居間にやってくる。 ヨハネスが何か言おうとして、フレイアにこづかれる。 (静かにして聞かなくっちゃ!) 小さな声でフレイアがささやく。 マリーテレーゼは父親の膝にのり、初めは聞いていたが、 やがて規則正しい寝息が音楽と共に聞こえだす。 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの甘美な甘さ。 ヨハネス・ブラームスの重厚さ。 フェリックス・メンデルスゾーンの繊細な華麗さ。 同じ音楽でもこうも違うものか、と、ミッターマイヤーは思う。 同じ楽器を使っているのに、曲によって音色が全く違って聞こえる。 個性というものはすばらしい。 人生もかくあろう。 同じ一生でも、一人一人の音色(生き方)があるというものだ。 ミッターマイヤーは、もういない親友の生き様に思いをはせる。 そして、目の前にいる息子に思いをはせる。 今はなき親友にうり二つの息子。 しかし、その成層圏の瞳の色が、 「自分はオスカー・フォン・ロイエンタールではない」 とはっきりと主張している。 おまえはどんな音色を奏でるのだ? 「・・・ねえ、ファーター、聞いてる?」 ヨハネスの声に、ミッターマイヤーは現実に戻る。 「なにが?」 「やっぱり聞いてないんだから」フレイアがむくれてしまう。 「ときどき、ファーターの心はここからいなくなるんだから」 とフェリックス。 「ファーターの心はまだ宇宙にあるんじゃない?」 「・・・え?」とミッターマイヤー。息子をじっと見つめる。 「宇宙に行きたいんでしょ?ファーター」 と、今は泣き親友の面影を宿した息子が言う。 「・・・そんなことないさ。おまえ達がいて、エヴァがいて」 「それでも宇宙に行きたいんでしょ?」と、今度はフレイア。 その言い方がなんとなしに大人びていて、ミッターマイヤーを驚かせる。 気のせいか、金銀妖瞳の親友に似ていたような・・・。 「それより、ファーター、教えてよ」 ヨハネスが屈託のない笑顔で言う。 「ぼくたちの名前、どうやって決めたの?」 「おれじゃないさ、母さんが決めたんだ」 「じゃ、ムッター、教えてよ」 焼き上がったばかりのチーズケーキを切り分けていたエヴァが、 顔を上げて微笑む。 「ヨハネスはね、昔の地球の宗教の本に出てきた預言者なのよ」 「洗礼者ヨハネって言うんだよね」 とフェリックス。 さすが中学生、覚え立ての知識をひけらかす。 「そう、だから、人を正しき道へ導く子どもになってほしいと思ってる」 とミッターマイヤー。 「でも、名前を聞かれたときにはそんなことご存じなかったでしょ?」 と楽しそうに言うエヴァに、ミッターマイヤーは微笑んでみせる。 「親の思いは一緒だろ?」 「ぼくは『幸せ』って意味だ」 フェリックスはエヴァに向かって、笑って言う。 「そうよ、地球の古い言葉でフェリックスは『幸せ』と言う意味なの」 「エヴァがずっと子どもにつけたいと思っていた名前だよ」 ミッターマイヤーが続ける。 「フェリックスには幸せになってほしい」と、 この思いはミッターマイヤーは口には出さない。 しかし、もう一人の父親の分まで幸せにしてやりたい、といつも思っている。 それが、死ぬ間際に子どもを自分に託してくれた親友への・・・。 どうもいけないな。 子ども達の前だというのに。 今日は思いがいろいろと交錯してしまう。 「フレイアって、お話の中に出てくる神様の名前よね」 とフレイア。 小さいときは自分と同じ名前の女神の出てくるお話を読んでもらうのが好きだった。 内容はけして幼児向きではなかったが。 「フレイアは美と戦いの女神で、双子の神の妹なのよ」 エヴァが続けるように言う。 「戦士は死ぬと、その魂の半分は大神オーディンの元へ、 半分はフレイアの元へとおもむくのよ。 フレイアの元に行くのは選ばれた勇者の魂だけなの。 戦いの女神は、どんなときでも戦士を守ってくれるわ。 ・・・フレイアのシンボルは狼なのよ」 「だからわたし、いつもファーターをお守りできるのよね!」 こう言ってはしゃぐフレイアは、父親の名前が「狼」を表すことをもちろん知っている。 旗艦の名前も”Veiowulf”すなわち「人狼」なのだから。 「マリーテレーゼは?」フェリックスが興味津々、という顔で聞く。 「マリーテレーゼは、昔のオーストリアという国の女王陛下の名前と同じよ」 「マリア・テレジアのことだね」と、これはヨハネス。 「そうよ。でもね、もう一つ、これは大切な名前なの」 「お。おい、エヴァ」なぜか、ミッターマイヤーがしきりに照れている。 「いいじゃありませんか。ウォルフ」 「なんなの?」「ねえ、なんなの?」子ども達が早く聞きたい、とせかす。 「・・・6歳の疾風ウォルフが初めてキスをした女の子の名前よ」 幼い頃の記憶。 父に連れられて出かけた、小さいが手入れのよく行き届いた貴族の屋敷。 植木の手入れをする父親。 そして、その家のかわいい一人娘。 初恋だった。と、今では思う。 広いお庭で一緒に遊んだ。 貴族の娘なのに、平民である自分をさげずむようなことはしなかった。 それに、本当にかわいかった。 一緒に食べたチョコレートケーキは本当においしかった。 父親が仕事が終わり、帰ることを告げたとき、 その女の子は小さなウォルフをじっと見つめて言った。 「また来てね」 「うん」 そう言って、小さなウォルフは少女のおでこにキスをした・・・。 その子にはそれっきり会っていない。 今はどうしているだろう。 「ねえ、そんなこと聞かされて、ムッターはどう思う?やかない?」 フェリックスがなんだか楽しそうに言う。 「別に。ウォルフは何でも話してくれるのよ。 だからムッターはね、ウォルフが好きだった人のことは全部知ってるの。 そして、ムッターもウォルフが好きな人は好きなのよ」 エヴァが嬉しそうに言って、 子ども達のカップにココアを、夫とフェリックスのカップにはコーヒーを注ぎ、 「フェリックスはもう大人の仲間入りよね」 と微笑む。 音楽が変わっている。 モーツァルトの、天上まで昇るようなすんだ曲調の合唱曲だ。 彼が死ぬ数ヶ月前に作った、それ故に極上の清らかさを持つこの小品が、 なぜかミッターマイヤーは気に入っていた。 「この曲はファーターが好きなんだ」 誰に向かって、というわけでなく、ミッターマイヤーがつぶやく。 「『アヴェ・ヴェルム・コルプス』だったよね。救いの歌だ」 子ども達の中で、今日は最年長者であるフェリックスが言う。 「ぼくも好きだよ。なんだか、魂が救われるような気がする」 「フェリックスもこの曲が好きか?」 「うん」 「そうか・・・」 ミッターマイヤーは自分のコーヒーカップを見つめ、スプーンで2・3度かき回す。 ミルクが細い線になって、うずを巻く。 おまえの魂も、女神フレイアの元に来ているのか? 10月26日。 今日は、かの人の誕生日だ。 |
BGM: Wolfgang Amadeus Mozart ”Ave Verum Corps”
・・・最後で少々痛くなったかな?
アヴェ・ヴェルム・コルプスは名曲です。心が洗われるような、澄んだ曲です。
ぜひ合唱曲の方を一度聞かれてください。わたしはかの「レクイエム」よりも好きです。