乙女の祈り

その日は珍しく執務が早く終わった。
外を見ると、ちらちらと小雪が舞っている。
こんな日はおいしい酒を飲んで、身体を温めて。
しかし、彼の金銀妖瞳の親友は宇宙で演習中だった。

仕方なく帰ろうとしたそのとき。
自分の少し前を歩く鮮やかな赤毛が目に入った。
「キルヒアイス提督、今帰りか?」
「ああ、ミッターマイヤー提督。お仕事は終わりですか?」
「うん、今日はいついなくスムーズに進んだ」
「それはなによりでした」
キルヒアイスは笑って答える。
「疾風ウォルフ」は、地上では「そよ風」と化してしまうことは有名だった。
デスクワークがたまってしまって幕僚たちと右往左往しながら
遅くまで残って頭を抱える姿は口の悪い輩に言わせると
「ローエングラム元帥府の名物」
ということになる。
もちろん能力が劣るのではなく、他人の分まで引き受けてしまう人の良さと、
その若さに似合わぬ地位の高さからくる仕事量に
彼の処理能力がいまだ追いついていないということもあるが。

でも年齢でいえばキルヒアイスの方が若い。
そして彼は、ミッターマイヤー以上の仕事量を黙々と効率的にこなしている。
彼が残業する姿など見たことがない。
自分は本当に地上勤務は向いていない、と痛感するミッターマイヤーである。

「ところで、卿、今日は暇か?」
ミッターマイヤーがグレーの快活な瞳で、上目遣いにキルヒアイスに話しかける。
ふたりの身長差は20センチ近くあるので、
童顔のミッターマイヤーは端から見たら大人にかみつく子どものように見える。
「え?ええ、何も予定はありませんが」
「そうか、よかった。一緒に飲みに行こう。おごるぞ」
「え?でも、もう帰ろうかと思っていたのですが」
「いいじゃないか。卿もたまには元帥閣下とは行けないようなところへ行きたくないか?」
「え!?」
ラインハルト様と行けないようなところ?キルヒアイスは不吉な予感がした。
しかし、ミッターマイヤーのことだ。
ロイエンタールとは違う。
いかがわしいところではあるまい。
仕方ない。キルヒアイスはため息をつく。

ラインハルトは今日は皇帝主催の晩餐会に出席している。
「すまないな、キルヒアイス。おまえも一緒ならいいのだが、
おれだけの招待だそうだ」
「いいえ、わたしはかまいませんが、くれぐれもお気をつけください、ラインハルト様」
「わかってるさ。終わったらすぐに帰る」

「・・・ご一緒しましょう。でもどこに行かれるおつもりだけは教えておいてください。
ローエングラム閣下に連絡を差し上げておかねばなりませんので」
「ああ、おれの家だ」
「ミッターマイヤー提督のご自宅ですか?」
「ああ、女房の手作り料理で乾杯といこう」
「でも、急におじゃまして・・・」
「大丈夫、エヴァの料理は天下一品だぞ。
それに、エヴァはそう言うことをめんどくさがる女じゃない」
ミッターマイヤーは屈託なく笑う。つられてキルヒアイスも笑う。

ミッターマイヤーの家はオーディンの郊外にある。
小さいが落ち着ける雰囲気を持っている。
自分の故郷の家に似ている、とキルヒアイスはふと思った。
「いらっしゃいませ、キルヒアイス提督、どうぞ、ごゆっくりなさってくださいな」
エヴァンゼリン・ミッターマイヤーの笑顔がふたりを迎える。
「たいしたものはありませんけれど、ウォルフの好きなブイヨン・フォンデュがありますの。
お召し上がりになります?」
「おれの好きな、はよけいだぞ」
ミッターマイヤーが照れくさそうに笑う。
「エヴァは料理の名人だ。ぜひ食べていってくれ」
「はい、おごちそうになります。フラウ・ミッターマイヤー」
キルヒアイスは礼儀正しく頭を下げる。
すると何がおかしいのか、エヴァがクスリと笑う。
エヴァンゼリンが夫と客人をダイニングに案内し、そのままキッチンへと消える。
それを目で追ったあと、ミッターマイヤーがキルヒアイスの方に向き直り笑顔を見せる。
彼独特のそこだけ日が差したような笑顔だ。
「エヴァは少しとまどっているようだったな」
「え?そうですか?」
「ああ、おれが家の客を連れてくることなど滅多にないからな。あ、ロイエンタールは別だが」
「そうなのですか?」
キルヒアイスは意外だった。
この人好きのする提督は金銀妖瞳の親友のほかにも友は多いはずだが。
「エヴァが卒倒するよな悪友ばかりだからな。
ミュラーやメックリンガーはまだしも、ビッテンフェルトなど連れてきてみろ。たちまち離婚ものだ」
そう言って、また笑う。

楽しい会話と、暖かいエヴァの料理と。
キルヒアイスはすっかりくつろいでいる自分に驚いていた。
ミッターマイヤーが自分とエヴァのなれそめを話し、エヴァが頬を染める。
キルヒアイスが少年の日のラインハルトとの思い出を話し、ミッターマイヤーが相づちをうつ。
もちろんキルヒアイスが話すのは幸せだった日々のことだけだったが。

やがてふたりは居間へと移る。
テーブルの上にはワインと、チーズと、手作りのソーセージが並べられた。
「じゃあ、後はお二人でごゆっくりね」
「ありがとう、エヴァ、後かたづけはおれがしておくよ」
「お願いしますわ、ウォルフ。・・・ごゆっくりなさってくださいね、キルヒアイス提督」
そう言うと、エヴァは居間を出て行く。
男同士、友人同士の会話は邪魔しない、エヴァはいつもそう思っている。

ミッターマイヤーがグラスの中のワインを見つめている。
少し酔っていらっしゃるな、とキルヒアイスは思った。
「・・・・・・なあ、キルヒアイス」
ミッターマイヤーが、小さな声で言う。
「なんでしょう?」
「おれは怖かったんだ」
「え?」
「エヴァにプロポーズするとき、本当に怖かった」
「それは、断られるかもしれないと思われたのですか?」
「いや、違う」
ミッターマイヤーはワイングラスを手の中で回す。
ワインの芳香な香りが一瞬、強くなる。
「エヴァのことを愛していたし、心から結婚したいと思っていた。
でも、おれがそれを口に出すと、エヴァは断れないだろ?」
「どうしてですか?」とは、キルヒアイスは聞かない。
わかるような気がした。
自分が世話になっている家の一人息子が求婚する。
断れば、その家には居づらくなるだろう。
エヴァには、しかし、ほかには行くところはないのだ。
受けざるを得ない。
それを思い、ミッターマイヤーはどうしてもプロポーズできなかったのだ。
「お優しいのですね」
「言うな。ガキだったんだ」
ミッターマイヤーは照れくさそうに笑う。
「それじゃ、どうしてプロポーズなさったのですか?」
キルヒアイスの問いに、ミッターマイヤーは耳たぶまで赤くなる。
「実はな・・・・・・・」

それはミッターマイヤーが23歳の時。
彼は短い休暇を終え、最前線へ向かおうとしていた。
出発は3日後。
実家で過ごすのも今日が最後だ。
もちろん、帰ってくるつもりでいる。
しかし、戦場では何が起こるかわからないのだ。
元気でね、と母親が涙ぐんで息子を抱きしめる。
おまえは不器用だから、妙な戦いに巻き込まれるなよ、と父親が つぶやく。

両親は彼の戦場での戦いぶりを知らない。
心優しい自分の息子が、戦場では鬼神のようになることを知らない。

大丈夫だよ、と息子は言う。
「今までだって生き残ってきただろう?」
「それはそうだけど、明日はそうじゃないもしれないだろ?」
「うん、そりゃあそうだけど・・・」

何度となく同じ会話が繰り返される。
そのたびに、蜂蜜色の若き士官は大丈夫だよ、と両親に言う。

やがて、出発の時。
「じゃ、行ってきます」
軽く敬礼をして、ドアを開けようとする。
そのとき、エヴァがあわてて走ってくる。
「ウォルフ様」
「エヴァ?」
「あの・・・これを、持って行かれてください」
「ああ、・・・ああ、ありがとう」
エヴァは布で作られた、手のひらにすっぽり収まるくらいの袋を渡す。
ミッターマイヤーがあけようとすると、あわてて止める。
「お守りですから・・・ここで開けたら効果がなくなります。
どうぞ、ご無事で、ウォルフ様」
「ああ、ありがとう。絶対に帰ってくるよ」
ミッターマイヤーはエヴァの手を取り、軽く握る。

オーディンの重力圏から離脱したところで、ミッターマイヤーは袋のことを思い出した。
(なんだろう?)
好奇心もある。
袋を取り出し、大切に開けてみる。
そこには・・・・・・。

「・・・クリーム色の、その・・・が・・・・入っていたんだ」
ミッターマイヤーが、顔を真っ赤にして、つぶやくように言う。
「乙女のお守りですか?」
「そうとも言う」
ミッターマイヤーは照れ隠しにワインをぐいっと飲む。
「で、そのときに決めたのさ。この戦いが終わって、生きていたら、プロポーズしようと」

やがて、キルヒアイスはミッターマイヤーの家を辞した。
まだ時間は早い。
歩いて帰ろうと思った。
なんだか、体がほてっている。
(飲み過ぎたかな?)
そう思いつつ、しっかりとラインハルトへのおみやげを買っていくのを忘れてはいない。
今日はエヴァンゼリン特製のシフォンケーキ付きだ。

「早く終わらせたいな」
と、ミッターマイヤーが言う。
「百年単位で続く戦争なんて、本当にばかげている。
このままじゃ、おれは安心して子供も作れない。
エヴァが安心して暮らせる宇宙を、早く手に入れたいな」
「そうですね」
自分もそうだ。
大切な人のため、早く終わらせたいと思う。

「遅いぞ、キルヒアイス!!」
帰ったとき、キルヒアイスを迎えたのは、そう言いながらも笑って迎える
彼の大切な友の、むくれたような声だった。


BGM:「乙女の祈り」

裏うささんのサイトに置いてある、ミッターマイヤーの
「乙女のお守り」の話に触発されて書いてしまいました。
やっぱりミッちゃんのよりも乙女のものの方がご利益あるでしょ?
しかし、エヴァ・・・・・・あんた意外と大胆ね(^^;;

裏じゃなくてもいいとは思うけれど、後から裏に移動させるかもしれない(^◇^;)