わたしは、ウォルフが持っている、昔ながらの懐中時計が好きでした。
いつも身に着けている、軍人だったころの名残の軍用時計・・・ウォルフは、退役してからもそれを公式の場では愛用していました・・・とは違う、繊細な銀の細工のされたものです。
それは美しい細工がされていて、裏に細い字で“O.V.R”と彫られていました。
幼いわたしは、でも、そのイニシャルが誰を指しているか、知る由もありませんでした。
「ねえ、それ、ちょうだい」
何も知らない子どものとき、わたしはそう言ってウォルフを困らせていました。
「これはファーターの大切なものなんだ。残念ながらフレイアにもあげられないな」
子どもたちには甘い、と評判の国務尚書は、そう言って笑っていました。
「じゃあ、フレイアが大人になったらくれる?」
「大人になってもあげられないな」
「どうして?」
・・・・どんなわがままも、かなえてもらえると信じていた子ども時代。
わたしはどれほどのわがままを言ってきたのでしょう?
でも、ウォルフはいつも笑って聞いてくれました。
・・・その願いがかなえられるかどうかは、いつも別の話でしたけれど。
どうしても懐中時計がほしいわたしは、何度も、何度も、ウォルフにお願いをしました。
でも、ほかのお願いは何でも聞いてくれたウォルフが、それだけはけして聞いてくれようとはしませんでした。
ギムナジウムに入学する年。
「ギムナジウムに入学したんだ。もう時計がいるころかもな」
ウォルフは新しい時計を買ってくれると言ってくれました。
「懐中時計がほしいわ」
「・・・まだ、あの時計がほしいのか?」
「ううん、あれじゃなくていいから、懐中時計がほしいの」
そう言ったわたしに、ウォルフは苦笑しながら少し小さめの銀の懐中時計を買ってくれました。
「あの時計には、おれの大事な思い出が詰まっている・・・
だから、あれだけはあげられないんだ・・・」
「うん、わかってる」
そのころには、わたしもあのイニシャルの主が誰なのか、わかっていました。
ウォルフが愛してやまない、親友・・・いえ、自分の半身。
だから、無理をいえない。
あの懐中時計には、きっと、いろいろな思いが詰まっているから・・・。
ウォルフとかの人の友情の終わりについては、わたしもすでに知っていました。
わたしはそのころ、父をウォルフと名前で呼んでいました。
それはかの人が、父をそう呼んでいたから。
その名を呼ぶことで、わたしはかの人の代わりになりたかったのです。
父の心を、少しでも軽くしたい・・・。
それが、父の心を余計に重くしていたかもしれない、と考えたのは、だいぶ立ってからでした。
やがて。
わたしは成層圏の瞳を持つ青年と恋に落ち、ともに人生を歩いていくことに決めました。
ウォルフはそれをずっと望んでいたのは、知っていました。
でも、だからそう思ったのではなくて。
彼はわたしをわたしとして愛してくれたから・・・。
出来上がったばかりのウエディングドレスに袖を通したわたしを見て、ムッターは涙ぐんでいました。
ウォルフはしばらくその姿を見ていましたが、
「フレイア、あとで部屋へおいで・・・フェルも一緒に」
そう言うと、部屋へ行きました。
「娘が結婚すると、やっぱりさみしいのよ」
ムッターはそう言っていました。
ウォルフの部屋に行くと、ウォルフはわたしたちに小さな箱をくれました。
「結婚祝いだ」
・・・わたしには、その箱の中身がわかるような気がしました。
「あけてごらん」
そう言われて箱を開けると・・・やっぱり。
わたしの箱には“W.M”の文字。
フェリックスの箱には“O.V.R”の文字。
そして、同じ文字の彫られた銀色の懐中時計。全く、同じ形の。
「思いを、お前たちに託すのは、おれのわがままかもしれない。しかし・・・」
ウォルフはそう言って、わたしと、フェリックスの手を取りました。
“W.M”の懐中時計は、ウォルフの思い。
そして、フェリックスの手の中の“O.V.R”の懐中時計には、かの人の思い。
フェリックスは、その時計のふたについている小さな傷までも、いとおしげになでていました。
そして・・・まっすぐ前を向くと、ウォルフに向かって微笑みました。
「ウォルフ・・・僕は、フェリックス・フォン・ロイエンタールに、なります・・・」
「そして、おれを殺すか?・・・お前の父のかたきだぞ」
「父はそれを望んでいませんから。・・・まだあの人の元に行くには早いですよ、
ウォルフ」
そして、フェリックスは、ウォルフのほおにやさしくキスをしました。
フェリックスの手の中の懐中時計は、小さく揺れていました。
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