げーじつの秋?
今、時代は大きく動こうとしていた――。
ラインハルトを中心とし、そこにまるで重力があるかのように有能な若手士官たちが集う。そして、さらに彼らに魅かれた平民や下級貴族出身の者たちがその周囲に。そして――力や人望のみならず、歴史の流れまでが彼を中心として渦を巻く。
これからは、貴族だというだけでは生き残れない。血筋しか誇るものの無い無能な者が、権力の中枢から実質的に淘汰されようとしていた――そんな活気に満ちた時代。
「それでは。プロージット!」
海鷲にビッテンフェルトの大声が響く。ただでさえ大きい声が、仕事が終わった開放感でか、更に大きくなっていた。
「プロージット!」
その声の大きさに苦笑しながらも、ラインハルト麾下の提督達の唱和する声が続いた。
現在、時代を変えようとしている男たちは、以前と同様に仕事に追われながらも、その仕事の充実感に昂揚していた。
嫌な奴に頭を抑えられ、不必要で非効率な任務を嫌々ながらこなす時代はもう、終わったのだ。
自分達が認めた、輝かんばかりの才幹の持ち主。
それが現在の彼らの上司だ。
そう、あの方なら――、
全宇宙を統一してしまうかもしれない――!
ラインハルトに魅かれ、同じ理想を共有している彼らは総じて仲が良かった。よって、自然と皆で集まって飲む機会も多かった。――勿論、この手の集まりの時に、彼らと心の地平線を共有しない義眼の総参謀長が呼ばれることは無かった。もっとも、呼ばれたところで辞退したであろうが。
静かに酒を味わい飲んでいる者、戦術論を肴に盛り上がっている者、この先の帝国の行方を真面目に語り合っている者――と、皆、それぞれに楽しんでいた。
中には僚友を酔わせようと、次から次へと僚友のための酒を注文するという困った者もいたが――。
「お、これ、もう一杯頼むわ」
「ビ、ビッテンフェルト提督!まさか、それもまた……」
「卿に進呈するために決まっておるだろうが」
焦るミュラーに、何を今さら当然のことを言っているのだ?と、ビッテンフェルトは首を傾げて見せた。
そう。こういう時、自然とターゲットにされるのはお堅い同僚や年下の者、部下である。現在、ここに集っている者の内で最年少なのはジークフリード・キルヒアイス上級大将なのだが、実質的にラインハルトに次ぐナンバー2である彼に、そういうことの出来る者はまだ存在しなかった。――後に打ち解けて来るとそうでもなくなるのだが。
そして勿論、ビッテンフェルトには自分より弱い者をいじめて悦ぶような趣味は無かった。ミュラーを可愛い後輩、頼りになる同僚と思ってのことである。
が、ミュラーにしてみれば、純粋に好意である分、断りにくくて性質が悪い。
そこで、ミュラーは話題の転換を図ろうと、切り札を出した。
何故か、諸提督達の私生活に関するゴシップに遭遇しやすい彼のことである。話のネタは常に二、三個、そのポケットに仕込まれているという噂であった。
そして珍しくも、今日のミュラーのネタは自慢話であった。いつもビッテンフェルトの腕力自慢を聞かされている彼としては、たまには自慢してみたかったのである。
「そういえばですね、面白い物を入手したのですよ」
ミュラーがそう言った瞬間、提督達の動きが一瞬、確かに止まった。
――ミュラーの言う『面白い物』……。
別の話題で盛り上がっていたグループまでもが、恐ろしいものを見るかのように、ミュラーに注目した。
何せ、どこからともなく彼らの情報を入手してしまうミュラーである。一説に拠ると、ゴシップに関しては、ケスラーの憲兵隊やあのオーベルシュタインの軍務省よりも凄まじいのではないか、と言われるあのミュラーの情報収集力である。彼らが恐れるのも無理は無かった。
――今回の犠牲者は俺ではなかろうな!?
ほぼ全員がそのような不安を抱いたと言ってよい。
その不気味な緊張感が漂う中に、ミュラーの解説が響いた。
「これは、美術の教師にとっては『生徒の一作品』でしかなかったようなのですが、それもここにいらっしゃる提督の物だと思えば、価値もいや増すというものです!ましてや小官にとっては、尊敬する方の描かれた絵画です。もう、宝物ですね!」
まさか、士官学校時代の美術の作品か!?
メックリンガーを除いて、全員絵心が無いことにかけては自覚がある。特に一部の者たちは顔から血の気が引く思いだった。
俺に絵心が無いのは確かだが、それほどひどい物を描いた覚えは無いな、と悠然と構えているのはロイエンタールとファーレンハイトとルッツ。
ミュラー提督の尊敬する方、ということは年少の自分ではないな、と安心しているのはキルヒアイス。
私の絵は、ほとんどが所有者が判明しているから、私のではないな、と他人事のように傍観しているのがメックリンガー。
そもそも、何を考えているのかわからないアイゼナッハ。
残りの提督たちは、ただひたすら、俺のじゃありませんように、俺のじゃありませんように〜〜!!と、神にもすがる思いで祈っていた。
「ミュラー提督、焦らさないで早く見せて欲しいのだが」
とは、『芸術提督』こと、メックリンガーである。僚友たちの軍才を高く評価していた彼は、その僚友が描いたという絵画にも興味を持ったのである。
僚友の多くは芸術に興味が無く、しかも学生時代の事でもある。絵の技術にはまったく期待していなかったが、絵というものは、見れば色々と、その時の作者の思いや状態が伝わってくるものなのである。芸術を専門とするこの提督には、それを読み取るだけの自信もあった。
もし自分のだったら、と思うと例え殴りかかってでも発表を止めさせたいが、自分以外のものだと思うと、それは是非見てみたい、という好奇心が抑えられない。
ビッテンフェルトでさえ、もはや当初の目的を忘れ、ミュラーが大きな鞄から『その絵』を取り出すのを、固唾を呑んで見守っていた。
「これです!」
――と、自信満々でミュラーが取り出した絵は……。
「うわああぁぁぁっ!!!」
誰かが絶叫して立ち上がった。それだけで、そこにいた者には、ミュラーがコーティングまでして大事にしているこの絵が誰のものなのか、わかったのである。
「ミッターマイヤーか!」
彼は『疾風ウォルフ』の異名に恥じないスピードでその絵を取り戻そうとしたのだが、その行動を完全に予測した――自分の絵だったらそうしたであろうからだ――ビッテンフェルトによって、取り押さえられてしまった。
「離せ!ビッテンフェルト!ミュラー!さっさとそれをしまえ!」
じたばたと暴れるミッターマイヤーをワーレンと二人がかりで抑えながら、しげしげとその絵を鑑賞する。
ミュラーは、ミッターマイヤーの反応に当惑しているようだ。
「ミッターマイヤー提督。でも、これ、手に入れるの、苦労したんですよ?この間、たまたま士官学校に行く用事がありまして……」と、ミュラーがいかにこの絵を入手するのに苦労したか、を滔々と語って聞かせている間にも、皆はその絵を鑑賞する。
ちなみに、ミッターマイヤーが静かだったのは、ミュラーの苦労話を真剣に聞いていたから――では勿論ない。そつなく、ビッテンフェルトがその口を大きな手で塞いでいたからだ。
「ほう……。これがミッターマイヤー提督の学生時代の絵ですか」と、ファーレンハイト。
「あの年齢にしては、まあまあといったところじゃないか?」とは、ビッテンフェルトの言である。
「そうですね、特に上手くもなく、下手でもなく……。こんなものじゃありませんか?」と、ルッツ。
「なかなかお上手だと思いますよ」とは、フォロー魔・キルヒアイス。
「野菜ですよね。小官もけっこう美味しそうに描かれていると思いますよ?」とは、所有者のミュラー。
「……」
珍しくも、親友たる金銀妖眼の提督は何も言わなかった。
……これはまさか……。
「ロイエンタール提督はどう思われます?……提督?」
ミッターマイヤーの親友である彼にコメントを求めたミュラーは、無言である彼に違和感を覚えた。
「ん〜〜〜〜っ!!」
ミッターマイヤーが暴れながら、何か叫んでいる。
それにはじめに気が付いたのはルッツだった。
「あれ?これ……。野菜のでこぼこだと思っていたのですが、もしかすると顔、じゃないですか?」
「……っ!!」
ミッターマイヤーの動きが止まる。
「え?」
「どれだ?」
ぞろぞろと皆が絵の周囲に集まり、品評会ならぬ大推理大会が催された。
「野菜に……顔?」
「はは、ミッターマイヤー提督にも無邪気な子供の頃があったということでしょう。誰でも昔は『ナスビくん』とか『おイモちゃん』とか、モノを擬人化して遊んだ時期があったでしょう」
「ファーレンハイト提督、それはちょっと時代が違いすぎませんか?これを描いた時、士官学校生ということは、既にミッターマイヤー提督は十六にはなってたはずだと思うのですが」
控えめにキルヒアイスが、ファーレンハイトの勘違いを修正した。
「それもそうか……。って、おい、そこの点々、黒と青色に見えるのは俺だけか?」
と、ナスビの点々を視線で示して、ビッテンフェルトが世にも恐ろしい事実を指摘した。
「そういわれて見てば……。と、いうことは……」
皆が恐る恐るミッターマイヤーの方を振り返る。彼は、もう覚悟を決めたのか、顔を真っ赤にして暴れるのを止めていた。
「……一番左がビューロー、その右隣がワーレン、ビッテンフェルト、ロイエンタールで、その一番右端にいるのが俺だよ……」
皆と視線を合わさないようにして、蚊の鳴くような小さな声でミッターマイヤーが真実を告げた。
「――人物画だったのか!」
この叫びが、その場にいた者の心境を代弁していた。
一瞬の沈黙の後――。
その場は時ならぬ爆笑に包まれた。
「……こ、これがロイエンタール提督……。お、おかしい……」
息も絶え絶えに笑う者あり。
「これがお前だと!ワーレン!」
と、同僚の肩をばしばし!と叩く者あり。
年少のキルヒアイスなどは可哀相に、笑うに笑えず、緩む口元を無理に噛み締めて、変な顔になってしまっている。
ビッテンフェルト、ワーレン、ロイエンタールといった、不幸にもその絵の中に登場してしまった人たちは、何とも言えない顔でお互いを見交わした。
「う〜〜、もういいだろ。早くそれ、返せ」
と、ミッターマイヤーが顔に血を昇らせたままミュラーに申し入れるが、
「い、いえ、小官もこの絵には少なからぬ金を注ぎ込みましたので……」
と、拒否される。
冗談ではない。
誰が過去の恥を他人の手に委ねたいものか。
「卿は馬鹿だぞ。そんな、価値の無いものに金を使うだなんて……」
というミッターマイヤーの言葉は、メックリンガーによって遮られた。
「とんでもない!」
その思わぬ声の大きさに、皆が彼に注目する。
「卿らは何を言っているのだ!今の画壇のどこを見渡しても、この絵ほどすばらしいものは類を見ないぞ!」
「……この絵がぁ!?」
ビッテンフェルトが素っ頓狂な声を上げた。――が、それはメックリンガー以外の者の内心を的確に代弁していた。
「そうだとも!卿達にはわからないのか?この荒々しい中にも所々垣間見える繊細なタッチの描線!これこそは形而上の友情という概念を端的に表したものだろう!その表れは卑近な表層のみで判断されるものではなく、かといってまったく表層を無視するのでもなく、この色彩の交わりの中に見事な形而上と形而下の融合の結晶としてそれは……」
「おい、あいつは何を言ってるんだ?どっかの宗教のお題目か?」
メックリンガーの『解説』に既について行けなくなったビッテンフェルトが、まだそういう話のわかりそうなロイエンタールに尋ねた。
「……俺にもわからん。要するにミッターマイヤーの絵が素晴らしいと言いたいんだろうさ」
「アレがか!?……芸術はわからん」
と、首を振りながらビッテンフェルトはそうひとりごちた。
「しかし……メックリンガー提督ではないが、最高傑作だな、この絵は!」
と、ファーレンハイトは未だに笑いを収められずにいた。
よりにもよって、『女たらし』で有名なロイエンタールが『ナスビ』になってしまったのが、たまらなくおかしいらしい。
「……うるさい、もう黙れ!」
ミッターマイヤーが実力行使に出た。
「お!?やるか?」
あっという間に乱闘が始まる。
「あ、俺。ミッターマイヤーに百帝国マルクな!」
「じゃあ、俺はファーレンハイトに百!」
双璧の酒の席での乱闘にすっかり慣れていた彼らは、今回はいつもとメンバーが違うとはいえ、ちゃっかりとその乱闘を楽しんでいた。
……まったく、この人たちは……。
と、キルヒアイスは内心で呆れながらも、あんまり行き過ぎるようなら喧嘩を止めないとな、と考えていた。
そして、その喧騒を知らぬかのように、少し離れたところでは――。
「ミュラー提督、この絵を手に入れるのに幾らかかった?」
「……え?」
「倍払う。だから所有権を俺に譲ってもらえんだろうか」
言葉遣いこそ丁寧だが、その座った金銀妖眼こそが強制力を有していた。
……さ、逆らったら何されるんだろう……。
こうして、泣く泣くミュラーは、尊敬するミッターマイヤーの絵の所有権をロイエンタールに譲ったのである。
☆★☆★☆★
さて、海鷲の備品を一部損壊するほどの破壊力を有していたミッターマイヤーの絵画だが、それは今でもトリスタンのロイエンタールの私室に、大切にしまわれているという。
無事ミュラーから脅し取って……いやいや、買い取ったロイエンタールであるが、実はあの後、メックリンガーとも所有権をめぐって揉めたのだ。
が、そこはさすがのロイエンタール。彼を酔わせて、『ロイエンタール提督が絵を所有することを認める』といった念書を一筆書かせ、抗弁を封じてしまった。
僚友にも部下にも、なんと皇帝にも見せずに、今やその絵を鑑賞する特権を有しているのはロイエンタールだけであった。
時々ウィスキーを片手に眺めては、微笑みを漏らしていると言う噂である……。
なお、未だにメックリンガーだけは、「いや、これほどの絵は美術館に飾って、全帝国臣民に鑑賞させるべきだ!」と主張して止まないそうだが……。
【das Ende】
佳池様からいただきました!
先日、二人でチャットで盛り上がったんですよねぇ。「あの」ミッターマイヤー閣下の絵の行方は?と。
そうしたら、こんなすてきなお話にしてくださいました!ありがとうございます。
佳池さまのサイト 「銀河の森」はこちらから HP
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