Episode 1 Wolfgang Mittermeire ビューローが不思議に思っていることがある。 普通、女の子は母親の方を話し相手として求めることが多いのだが、フレイアは好んで父親と話す。 自分の娘は、父親に対してはさんざんなことを言う。 まともに話してはくれない。 「おじさんは黙ってね」 「あ、下着は一緒に洗濯しないでよね!」 「わたしのシャンプー使わないで!若い女性用なんだから」 「もう、近づかないでよ、おじさん臭いんだから」 などなどと、冷たい言葉しか言わないのに。 ・・・そう言えば、フレイアはミッターマイヤーに対してはそんなことを言ったことがない。 (閣下はいつまでも若々しいからな) そうも考えるが・・・。 「あいつは家に友だちを連れてきたことがないな」 いつか、フレイアについて、ミッターマイヤーがそう言ったことがある。 「ヨハネスは本当に友人が多いのにな。同じ双子だというのに」 「ヨハネスは閣下に似ておいでですから」 「なんだ、それは?おれはあいつほどお人好しじゃないぞ・・・まあ、いいか」 ミッターマイヤーは苦笑する。 「ヨハネスはいい軍人になれるかな?」 「閣下のご子息です。大丈夫ですよ」 「そうだよな」 ミッターマイヤーはため息をつく。 「あいつは優しいから、別の道をすすめたんだが・・・どうしても軍人になって、艦隊司令官になりたいそうだ。 旗艦の名前をベイオウルフにしたいのだと、そう言っている」 「いいではないですか。父親としては本望でしょう?」 「保育園の弁当箱をベイオウルフにするんだと言っていたな、そう言えば・・・ 思い出した。あのころから考えていたのかな?」 ミッターマイヤーはそう言うと、気がついたように照れ笑いをする。 「・・・おれは親ばかだな」 「・・・フェリックスもいい友人を作っている。あいつとは大違いだ・・・」 あいつ。 誰か、とは聞かなくてもわかる。 「フェリックスは、優しいですね」 「好きな女に愛の告白もできないやつだぞ」 「閣下にそっくりではないですか」 「・・・おれは成功したぞ」 「それは、された相手の方に問題があるからで・・・」 「おい、おい、おい」 ミッターマイヤーはいよいよ苦笑する。 「フェリックスも、閣下も、生涯の伴侶を手近なところで見つけたところは同じですね」 「おい、それじゃ、まるでおれが女一人ものにできない朴念仁みたいな言い方じゃないか」 ビューローのからかうような言い方に、ミッターマイヤーは何とも言えない顔をする。 ・・・そして、遠くを見るような目になる。 「あれは、おれが望んでいたから・・・」 「・・・閣下?」 「おれは、あの二人には酷なことをしているのかもしれん」 「閣下」 「しかし・・・・・・あの日に子ども達が生まれたとき、おれはどうしても運命というものを信じたくなった。・・・あいつが死んだ日に生まれたおれの子と、あいつが死んだ日におれの元に来たあいつの子と・・・」 そこまで言うと、ミッターマイヤーはビューローの方を向いて言う。 「親ばかではない・・・これはおれの利己的な感情だな」 「閣下のご意志とは別に、あの二人はお互いにひかれあっているのですよ」 ビューローは心の中で、そうつぶやく。 「・・・マリテレーゼはエヴァそっくりだ」 ミッターマイヤーは、今度は優しい顔になる。 末っ子の、この、自分の妻にそっくりな子を、ミッターマイヤーは無条件にかわいがっている。 「気が優しいから、まわりに自然と人が集まる・・・ああ、どうやら彼氏ができたらしい。 エヴァにだけは話しているようだ」 「もうそんなお年ですか?」 「ああ。いつの間にか、あいつも年頃だ・・・」 17になり、気だてのいい子に育ったマリテレーゼを、マスコミは「皇帝陛下のお后候補」として取り扱う事が多い。 本人にも、親であるミッターマイヤーにも、そしてアレク陛下にもその気はないのに。 困ったものだ、とミッターマイヤーは思う。 「平凡な結婚をして、平凡な家庭を築いてほしいと思っている」 ミッターマイヤーは、いつもそう言っている。 フレイアと違い、マリテレーゼは「大学に行く」とも「ファーターの仕事を手伝う」とも言わない。 旧王朝時代の良家の子女のように、ハウプトシューレ卒業後は家で「教養を身につけるため」家庭教師についている。 ダンス、刺繍・・・。 (自分は意外と保守的だったのだな) とミッターマイヤーは思う。 女性の社会進出、ということについて、あまり積極的ではない自分を感じている。 (皇太后陛下には、そういうことは思わなかったのに・・・) 自分の子どもになると、話が違ってくるらしい。 積極的に社会に飛び出すのではなく家庭に入って、妻として、母として・・・。 「お子様方も大きくなると大変ですね」 ビューローのその言葉に、ミッターマイヤーは我に返る。 「ああ、そうだな。・・・卿のところも大変だろう?ビューロー」 「うちは、父親は完全に無視された存在ですから」 「そうなのか?・・・あ、すまん。執務に忙しくて、家に帰る暇がないからだろう? たまには家庭サービスしたらどうだ?」 「閣下こそ」 「おれは家族サービスに努めた方だぞ」 ・・・そうなのだ、とビューローは思い起こす。 保育園入園の時も、学校の授業参観も、PTAの行事も、休暇のほとんどを、この人は家族のために使っている。 確かに愛妻家で、子煩悩な人だが。 ・・・・・・家族のために時間を割くもう一つの理由を、ビューローは知っている。 「フェリックスには、家族のいい思い出をたくさん作ってやりたい」 何かのおりにミッターマイヤーがそう言ったのを、ビューローは聞いたことがある。 「あいつは子ども時代、いい思い出がないと言っていたからなぁ・・・心を作り損ねたと、いつもつぶやいていた」 フェリックスは家族の愛に包まれて、賢い、優しい子に育った。 ミッターマイヤーの自慢の「息子」の一人だ。 その父親とミッターマイヤーと二人して「帝国軍の双璧」と呼ばれたころを知る元帥達も、そのことを心から嬉しく思っている。もちろん、口には出さないが・・・。 「ハインリッヒにはすまないことをしているのかもな」 ミッターマイヤーは、そうも言う。 「あいつに、おれはなにもしていないからな」 「閣下はハインリッヒの親代わりを十分されておいでではないですか」 「いや、親らしいことを何一つしていない・・・大体、親ではないからな・・・親の代わりなんて、できない・・・あいつには、なくなられたとはいえ、立派なご両親がいるし・・・」 「ハインリッヒは閣下に感謝しておりますよ、きっと」 「あいつはおれのわがままで引き取ったんだからな」 「・・・閣下?」 「あいつは、ロイエンタールの最後を知っているただ一人の人間だから・・・」 ・・・自分の知らない、最後の数ヶ月のロイエンタールを、そして、その最後を知るハインリッヒを、ミッターマイヤーは自分のそばに置きたかった。 自分と、フェリックスのために。 ・・・それは、わがままだったのだろうか? ミッターマイヤーは、そんなことをふと思うことがある。 引き取ったのはいいが、すぐに幼年学校に復学し、ミッターマイヤーの元にはいなくなってしまったのだから。 「家から通えばいいのに」 そう言ったのだが 「わたしだけ特別扱いというわけにはいかないでしょう?」 と言って、皆と同じように寄宿舎に入る、と言いだした。 その希望をもちろん通したミッターマイヤーだが、自分が本当の父親だったならそうしたのだろうか?と考えることもある。 もしかしたら、自分のことは棚に上げ、一発くらい殴ってでも家から通わせたかもしれない・・・。 そう言うことを考えること自体、自分に何かしらのこだわりがあるのかもしれないが。 5人の子ども達を自分は同じように愛してきたつもりなのだが。 本当にそうだったのだろうか? 「公明正大も、形無しだな・・・」 ミッターマイヤーのこのつぶやきを、ビューローは聞き逃さなかった。 「閣下?」 「あ、いや・・・」 「いいじゃないですか・・・閣下らしいと思いますよ」 「・・・なにが?」 「いえ、そう考えられるところが閣下らしいと言ったのです」 「そうか?」 「閣下は、国務尚書になられてから、いろいろと難しくお考えすぎですよ」 「そうだな・・・もう20年か・・・そろそろ引退だな」 「後任はどうされますか?」 「皇太后に一任する。おれがとやかく言うと、『引退後も院政を敷く』などと言われかねんからな・・・おれは権力をこの手に一手に握ろうなどと、思った事もなかったのに」 そう言うと、ミッターマイヤーは窓の外を見る。 2ヶ月後、5月14日の、アレク陛下の誕生日。 その日に、すべてをお返ししよう、そう考えているミッターマイヤーだった。 |