愛しのベイオウルフ

(7)

発走10分前、もうすぐ馬券の締め切りが近づく。
3頭はそれぞれ、トリスタンが1番人気、ロイエンタールのベイオウルフが休み明けと言うこともあって12番人気。バイエルラインは残念ながら最低人気の15番人気。

提督方の中で一番誠実?なミュラーは、双璧の二人に敬意を表して3頭のワイドのボックス馬券を買っている。自分の買った馬券と少々表示が違うその馬券を見て、ラインハルトが不思議そうに言う。
「ミュラー」
「はっ!」
「卿の買った馬券は、少し違うようだが・・・」
「それはですね、閣下」
ビッテンフェルトが嬉しそうに説明する。
「ミュラーの馬券には“3−5−15ボックス”と書いてございます」
「そうだな」
「これは、3番と5番と15番の3頭の馬でできる組み合わせをすべて買ったということになります」
「つまり、3−5,3−15,5−15と買った、と言うことか」
頭の中で組み合わせを考えながら、素早くラインハルトが言う。
「御意」
「では、このワイドというのは?」
「買った馬が1着2着、1着3着、2着3着のどの組み合わせであっても配当がある、と言うことです。この買い方は得てして配当は小さいのですが、よく当たります」
「でも、こちらは?」
ミュラーはもう一つ、「馬連 15番 ながし」と書かれた馬券を手にしている。
「これは閣下、15番、つまりベイオウルフと他の馬の組み合わせをすべて買ったことになります。そういう買い方を『15番からの総流し』と申しまして・・・」
「よし、キルヒアイス、決めた」
「はい、ラインハルト様」
「ミッターマイヤーとロイエンタールの馬から、その、総流しというやつで買うぞ」
「はい、閣下」
「閣下、3連復という買い方もありますが・・・」とビッテンフェルト。
「ではそれも買おう」
キルヒアイスは預かっているラインハルトの財布を取り出す。
じっと黙ってそばにいたキスリングが、あわてて財布を受け取って馬券を買いに行く。
「あ、わたしも行こう」
同級生のよしみか、単なる人の良さか、それとも自分も競馬の先輩であることを一応誇示したいのか。
ミュラーがそう言いながら後を追う。

案の定、「一番人気」と馬番一番を勘違いしたキスリングはトリスタンの代わりに別の馬の馬券を買ってしまった。
ミュラーはその勘違いに気がついたが、
(まあ、いいか・・・)と思い、あえてなにも言わない。
もしも馬券が当たったら、そっと馬券を入れ替えておこう、そう思い、自分で買い損ねた馬券を購入しておくことも忘れない。
そして、そのことに気がつかないキルヒアイスではなかった。

「すみません、ミュラー提督」
年下の上官に頭を下げられ、ミュラーは恐縮する。
「なんですか?」
「あなたが今買われた分は、わたしが出しましょう」
「なんですか?」
「わたしもいささか予習をしてきていますので」
穏やかにキルヒアイスは笑う。
・・・実は、馬券の買い方と初心者ゆえの買い間違えについては、前日にミッターマイヤーからレクチャーを受けているキルヒアイスである。
「いいですよ。わたしの買った馬券の方が当たる確率が高いのですから」
「でも、あなたはそれが当たったらラインハルト様の馬券と入れ替えられるおつもりでしょう?」
「・・・」
「それではいけませんよ」
そういうと、キルヒアイスはまた笑顔。
ミッターマイヤーの笑顔にも人をとまどわせ、言うことを聞かせるような不思議な力があるが、この若者の笑顔は別の意味でそういう魅力がある。
この穏やかな笑顔に逆らえる人間が、そう多くいるものか・・・。

馬たちがゲートに入り、いよいよ出走。

ところが。このレースの結果は、提督方に様々な波紋を呼ぶことになる。


もちろん自分たちの馬から馬券を買っている双璧の二人だが、利殖ゆえの馬券購入でないので配当には興味はない。
二人の話題は、この夏に予定している牧場巡りのことだった。
ゲートインしている自分の馬を見ながらミッターマイヤーがロイエンタールに言う。
「いい馬がいるんだ」
「ほう?」
「残念ながら一頭でおれの年俸以上が吹っ飛んでしまう。よくわからんが、最低でも100万帝国マルク(約2億円)はするらしい」
「ほう、その程度で買えるのか」
「おい、その程度って・・・」
ミッターマイヤーは蜂蜜色の髪をかき回す。
そうだった。こいつは帝国でも有数の資産家だった・・・。
「今年の当歳(その年に生まれた仔馬のこと)の中では一番の高値だぞ」
「おれが買ってやろうか?」
「いいよ。おれの馬の購入規準は知っているだろう?」
「知っているが・・・お前がそういうからにはそいつもお前に話しかけてきた、とでも言うんだろう?」
そう言われてミッターマイヤーは苦笑する。・・・その通りなのだ。
「お見通しだな。・・・そいつの父親は、トリスタンと同じ父親でな。興味も関心も大いにあって、見に行ってきたんだ」
「バイエルラインと一緒にか?」
「こだわるなよ。・・・違うよ、エヴァと二人でだ」
「なるほど」
ロイエンタールは、それはそれで気になるのだが・・・奥方と一緒では仕方がない。
「エヴァも一目であの馬が気に入った。・・・あ値段が高いからではないぞ。エヴァには値段までは言ってなかったからな」
「奥方はなんと?」
「値段を言ったら寂しそうに笑った。
でも、『あれだけの馬だから、また競馬場で会えますわね?』と言っていた」
「なるほどな。で、その馬はもう所有者が決まっているのか?」
「今度のセリに出るらしい。牧場巡りのついでに、行ってみようと思っている」
「・・・あの、大当たりした配当金では買えないのか?」
「おそらくセリにかけられると、それ以上の値段になることは目に見えている」
「そうか」
・・・・・・それ以上、ミッターマイヤーはなにも話そうとしない。
ロイエンタールもあえてなにも言わない。

ロイエンタールは、ターフを見つめるミッターマイヤーの横顔を見る。
この笑顔が、自分にだけ向けられることを、どれだけロイエンタールは願ってきたことか。
それがかなわぬことと知っていながら。


そんな二人の、二人だけの世界は置いておいて・・・。
レース終了後、別の意味で自分の世界に入ってしまった青年将校が数人いた。

レースは「提督方がレース場に来た日は波乱が起きる」というジンクスの通り(いつの間にそういうジンクスが・・・)、一番人気トリスタンが馬群に沈み、着外に終わる。
その代わりに一着に来たのが。
「・・・おい、ベイオウルフが」
「・・・ああ」
ミュラーとキスリングが、同時に声を出す。

ミッターマイヤーぶりの疾風ぶりが、その馬に乗り移ったのか。
逃げを撃ったベイオウルフがそのまま逃げ切り、一着でゴールしてしまったのだ。
そのベイオウルフにつかず離れず、まるで本物の(!)バイエルラインのような走りっぷりを見せたバイエルラインが健闘して3着。
そして2着は・・・キスリングが間違えて買ってしまった、1番の馬。


キスリングに馬券を見せられたミッターマイヤーはうめく。
「閣下・・・」
「ん・どうしたのだ?ミッターマイヤー」
「閣下の買われた、この、1−3−15の馬券は・・・」
「どうした?」
「配当が・・・1帝国マルク(約200円)につき、8360帝国マルク(約167万円)ついております・・・」

レース全体でたった11票しか売れていなかったその馬券を握りしめ、ラインハルトは小さくつぶやく。
「キルヒアイス・・・83万馬券を手に入れたぞ」
「はい、ラインハルト様・・・」
「次は宇宙だな」
「はい」
・・・高額馬券と、宇宙と、そういう関係があるのだろうか?
・・・しかしラインハルトがそういうと、それらしく聞こえてしまうのが不思議だった。

ミュラーが手にしたワイド407倍の馬券も、15番からの総流しで手に入れた1−15の360倍馬券も、この世紀の配当?でどこかに消えてしまった・・・。
初めて配当がすべて自分のものになり、陰で喜んでいるミュラーのことも、誰も気にとめようとはしなかった・・・。
そしてミッターマイヤーはラインハルトが手にした高額馬券を前に、
「やっぱり宇宙を手に入れようとされている方は違う・・・」
と、ひとりごちるのであった。

「あ、これで最高級のキャベツの苗を買ってやろう。子作りに励めよ」
敬愛してやまない8歳年下の上官にとどめのようにそう言われて、苦笑するしかないミッターマイヤーであった・・・・・・。

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