(9) 「黄色いバラ、あります?」 フレイアが花屋に入るなり、そう言った。 フェリックスが、「え?」という顔をする。 その顔を見て、フレイアが笑いながら言う。 「ミッターマイヤー家と言えば、黄色いバラよ。これ持っていけば、あの人もウォルフが来たことがわかるでしょ?」 「フレイア・・・ウォルフは来てないよ」 「来てるわよ。ウォルフの血を引く外見そっくりなわたしと、中身そっくりなあなたと。ふたりあわせてちょうどいいじゃない」 「そんなものなのかな?」 「そういうものよ・・・あ、リボンもつけてください」 これから、ふたりはロイエンタール提督の墓所に行くのだ。 もちろん初めてのハイネセン、道に迷っては大変なので、道案内がつくことになった。 「よう!かわいこちゃん」 にこにこしながら近づいてくるのは、そばかすの元提督。 「こんにちは、アッテンボロー閣下」 こちらもにこにこしながら、フレイアが礼儀正しくあいさつをする。 「お父上はご壮健ですか?」 「壮健よ・・・と言いたいけれど、もう年ね。最近はすっかり老け込んじゃって・・・」 「本当ですか?」 「嘘よ。ますます元気。でも、もう50過ぎですもの。いつまでも若いときのようには行かないわ」 「それはわたしも一緒ですよ」 「また、そんなことをおっしゃって」 ふたりの会話を、フェリックスはただただ呆然と見ている。 フレイアは、こう言うときは結構度胸がある、つくづくフェリックスは思う。 こうでなければ政治家の後継者はやっていけないのかな? いや、フレイアにはその気はないみたいだ。 まあ、軍人の妻でもパーティに出るとこのくらいの度胸と社交性は必要かな? ・・・って、まだプロポーズもしてないじゃないか・・・。 実は。 フェリックスのポケットには、決意を込めて買った指輪が入っている。 そして、その指輪には“F.V.M.R”・・・Felix von Mittermeire-Reuenthal の文字が彫ってあるのだ。 フレイアが黄色いバラを買ったとき、何か因縁のようなものを感じた。 フェリックスの義父がプロポーズの時に恋人に贈った黄色いバラ。 ・・・きっと、神様も後押ししてくれている。 フェリックスはそう信じた。 フェリックスは、彼の実父の前でプロポーズする。そう決めていた。 ロイエンタールの血を引く自分を改めて認識して、そして。 『フレイア・・・フレイア・フォン・ロイエンタールになってくれる?もちろん、ぼくが一人前の軍人になってからだけれど』 そう言う言葉を、フレイアに気づかれないように、何度も、何度も、練習したのだ。 そんなことを言ったら、「安っぽいセンチメンタリズム」とフレイアに言われそうだけれど、これがロイエンタールの息子としての、彼の心のけじめの付け方だった。 ミッターマイヤーの娘と、ロイエンタールの息子として結婚するのではない。 自分は、フェリックス・ミッターマイヤーとして、また、ロイエンタールの名前と血を継ぐものとして、フレイアという一人の女性に愛を告白するのだ。 そのためにここに来たかった、と言うのは、彼のただのこだわりかもしれないけれど。 『儀式』のようなものだ、と彼は思っている。 フレイアがミッターマイヤーに送った手紙のことを、フェリックスは知らない。 「ここだ」 地上車をとめ、アッテンボローがつぶやく。 「おれも墓参りは来たことがないので知らないが、ここにロイエンタール元帥の墓がある、と聞いてきた」 「誰にですか?」 「いえるか、そんなこと」 ・・・言わなくても、分かり切っている答え。 誰も口にはしない。 「・・・行きましょう」 フレイアが促し、フェリックスが続く。 「おれはここで待っていようか?」 アッテンボローがそう言うと、フレイアが無言で笑った。 「お世話になりました」 フェリックスがそう言って頭を下げると、アッテンボローが笑って片手を振る。 「お世話になります、だ。自分たちでは帰れないだろう?待ってるぞ」 「はい、お願いします」 「・・・あ、そっちにはヤンと言う家の墓もある。ついでに立ち寄ってくれ」 「・・・はい」 さらりとアッテンボローが言った一言。『ヤンという家の墓』。 すると、もしかしたらここにはヤン・ウェンリーの墓もあるのか? 「・・・花束、二つもってくればよかったわね」 フレイアがつぶやく。 「いいよ。きっと気持ちだけでも喜んでくださるよ」 「そうね」 「・・・でも、不思議だよね。旧敵同士が同じ場所に眠るなんて」 「戦争が終わると、敵も味方もないのよ。かつての敵と味方が手を組むことだってあるし、かつての味方同士が戦うことだってあるし」 「・・・」 「でも、そこには個人的な憎しみはないもの。だから、ヤン・ウェンリー元帥もロイエンタール元帥もきっとわたしたちが来ることを喜んでいらっしゃるわよ」 「そうだね」 やがて、ふたりは一つの墓の前に立つ。 ふたりの目の前にある、白い墓標。 そこには故人に送る言葉もなく、かざりもない。 ただ、“O.V.Reuenthal”とだけ。 「墓碑銘もないのか」 フェリックスが小さな声でささやく。 「・・・反逆者だものな」 「でも、らしいじゃない?・・・きっと叛逆起こしてなくても、ロイエンタール元帥は墓碑銘は彫らなかったと思うわ」 「ぼくはそうは思えない。ウォルフがお節介を起こして、きっと“我が友”くらいは彫ると思うよ」 「ウォルフは彫らないわよ。そういうことはしないと思う・・・言葉だけでは言い表せない思いがあるから・・・言葉は逆にいらないのよ」 ・・・フェリックスはフレイアを見る、そして、彼女が泣いているのを知る。 「どうしたの?フレイア」 「わからない・・・わからないけど、涙が出るの」 フェリックスは頬を伝う涙をそっとぬぐってやり・・・そのまま肩を抱きしめる。 「やめてよ」 「どうして?」 「優しくされると、わたし、つけあがるわよ」 「いくらでもつけあがっていいよ」 「うまいこといっちゃって・・・」 それ以上はなにも言わない。 二人は、いつまでもたたずんでいる。 やがて。 フェリックスは、用意していた指輪をそっと出す。 「フェル?」 「・・・父の前で、言おうと思ってたんだ。・・・フレイア。ぼくは、フェリックス・フォン・ロイエンタールになる・・・・・・もしかしたら、ウォルフの言うように、いつかはぼくはウォルフを憎むかもしれない。あの人を・・・倒すかもしれない」 「・・・そんなことはないでしょ?」 「そう思うけれど・・・あの人はそれを望んでいるから」 「フェル・・・」 「・・・それでも・・・もしかしたら、君が悲しむことをしてしまうかもしれないけれど・・・ぼくと一緒に、ロイエンタールになってくれる?」 「・・・・・・」 「もちろん、ぼくが士官学校を卒業して・・・一人前になって・・・それからだけど・・・」 「・・・・・・」 フレイアは、黙っている。 フェリックスは不安になる。 何で黙っているんだ? いつものように皮肉でも言ってくれた方が、気が楽だ・・・。 短い沈黙。 やがて、フレイアがフェリックスの手を取る。そして、微笑んでみせる。 その笑顔は、いつになくウォルフガング・ミッターマイヤーに似ている。 「フレイア?」 「・・・言ったでしょ?わたし、優しくされるとつけあがるのよ」 「え?」 「・・・・・・Ya、よ、フェリックス・・・一緒にロイエンタールになりましょう・・・その代わり、絶対にウォルフは倒させないわよ。一生、わたしが邪魔してあげる」 「フレイア・・・」 「だって、わたし、頼まれたのよ。ロイエンタール元帥に。『ウォルフを頼む』って。だから、一生邪魔してあげるわ」 それ以上は、お互い、なにも言えない。 やがて、フェリックスは、万感の思いを込めて、フレイアにキスをする。 |
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