夢よもう一度

(4)

パドックを回るヒューベリオンは、美しい。
栃栗毛(こげ茶色)の身体はパンと張りがあり、トモ(おしりから後ろ足にかけての部分)がたくましく盛り上がっている。
しかし、全体的には優美な印象を受ける馬だ。

「あの馬は仔馬の時に柵を乗り越えて隣の牧場まで行ったことがあるんだ」
ミッターマイヤーが、隣で珍しく聞き役に徹しているビッテンフェルトに言う。
「それはいいことなのか?」
「うん、・・・いいことじゃないことがある。同じように柵に当たって、怪我をして、再起不能になった馬もいる。初め話を聞いたときは驚いた。怪我がないか、真剣に心配した」
「で?」
「怪我の一つもなかった。柵を跳び越えるなんて、ふつうはできないんだ。よほどバネがないとできない。・・・それで思ったんだ、この馬は身体機能も強いし、運もいいとな」
「そうか・・・ならもっと早く走らせればいいのに。そうすればもっと勝っているんじゃないのか?」
「馬にはそれぞれ、適正というのがあるんだ」
「適正?」
「うん、距離の適正とか、成長の早さにもいろいろあるし」
「それも馬券に関係あるか?」
「うん。大ありだ」
そこで、再びミッターマイヤー先生の競馬教室が始まる。

今回の生徒はビッテンフェルトだけではなく、初心者であるミュラーや、先日ビギナーズラック
(初心者ゆえの幸運)で大穴を当てたミッターマイヤーの幕僚ビューローもいる。
なにしろビューローは、先日、ミッターマイヤーのまねをしてなにがなんだかわからぬうちに大金を手にしてしまったのだ。
あのときは自分で自分が恐ろしくなった。
おまけに奥方の名前で銀行に口座を作ろうとしたら
「その場合は贈与税と、奥様に所得税がかかります」
と言われてしまった。
競馬の配当金には税金はかからないというのに・・・。
・・・あんな怖い思いをするなら、そして、なにも知らないで恥をかくよりも、少しでも知っておいた方がいい。
そう思いつつ、ビューローは敬愛する年下の上官を見つめる。


「馬にもいろいろ適正というものがある、今日のメインレースはマイル(1600m)だろう?」
「ああ、そういえばこの前のレースはもう少し距離が長かったな」
「うん、あれはダービーというレースなんだが、距離は2400mだ」
「ほう・・・」
「大体馬にはもっとも得意とする距離がある。たとえば、だが、ビッテンフェルトは短期決戦型で、
ミュラーは粘りある攻撃、おれは迅速な移動と攻撃が得意、・・・馬も同じだ。個性があるんだ」
「ほうほう」
「短距離が得意な馬はやっぱり筋肉質だし、胴が短い。
それで判断すれば間違いない。
短距離も1400mくらいまでのスプリント型と1600mくらいから2000mくらいまで行けるマイラーとある。今日のメインレースは1600mだから、両方のタイプの馬が出場しているはずだ」
「うんうん」
「で、うちのヒューベリオンは中距離が得意だ。中距離というのは2000mから2500mくらいまでかな?うまくいけば3000mくらいまではこなせるはずだ。
これくらいの距離を“クラシック・ディスタンス”と言って、一番G1も多い」
「クラシックというのはなんだ?」
「ああ、3歳馬だけが出られる伝統のレースだ。
2000ギニーとダービーと、もう一つ3000mのレースがある。
この3つに勝った馬を、俗に3冠馬という」
「ふうん・・・」
と頷くのはミュラー。
「よくご存じですね」
まじめ一方の印象が強いミッターマイヤーがこれだけ競馬を熱く語れるとは、ミュラーには意外だったのだ。
「ま、な。いちおう馬主だから」
照れくさそうにミッターマイヤーが言う。
「・・・続けるぞ。あと、2400m以上の距離が得意な馬もいる。これを長距離馬という。
こういう馬の見せ所になるG1が帝室杯・春、3200mだ。これを勝ってこそ、真のチャンピオンという馬主もいるな・・・まあ、伝統の一戦だし」
「お前はどうなのだ?」
それまで黙っていたロイエンタールが言う。
「おれか?おれは、レースのグレードも、馬主としての名誉も、実のところどうでもいい。
みんな無事で走ってくれて、無事に競走馬としての人生を終えて、余生を牧場でゆっくり過ごしてくれれば、それでいいと思っている」
ミッターマイヤーはにこりと笑う。
「さ、馬券教室を再開しよう」

「馬主はそれぞれの馬の適正を考えてレースを選ぶ。
たとえば、うちのヒューベリオンは中距離馬なので、2000m以上の新馬戦を選んだ。
そういうレースは割とこの時期に多いんだ。たとえば、このレースは2400mだろう?」
「新馬戦というのは?」とミュラー。
「馬のデビュー戦だ。初めてのレースだから、馬主としては緊張する。馬の方はどうかわからないけれどな。・・・でも、馬は賢いから、きっとわかっていると思う」
「わかるのか?ただ鞭でたたかれて走っているかと思っていた」
ビッテンフェルトが、彼らしいといえば彼らしい感想を述べる。
「ヒューベリオンはわかる。あいつは賢いから。・・・牧場での優しいまなざしと、今のまなざしは違うんだ。きっと、自分が一生で一番大事なレースに出るということがわかっているはずだ」


こいつは自分とヒューベリオンを重ねているのかもしれない、とロイエンタールはふと思う。
戦場での強い意志を感じる姿と、愛妻家としての姿と、二つの顔を持つ自分とこの賢い馬をどこかで重ねているのかもしれない。

「なんだ、ロイエンタール。顔になんかついてるのか?・・・そう見つめるな」
ミッターマイヤーが照れくさそうに言う。
「いや、なんでもない」
「おかしいやつだな」
なにも言わず、ロイエンタールはレーシングプログラムに目を落とす。
おれも、今日はこいつの馬の馬券を買ってやろう、そう思いつつ。


「・・・お前の馬、歩き方がおかしくないか?」
馬を食い入るように見ているビッテンフェルトがささやく。
確かにヒューベリオンの歩き方は他の馬と違って見える。
「ぽよんぽよんと歩いているだろう?あれは彼の特徴なんだ。心配いらない」
「歩き方も馬券に影響しますか?」
「ああ、する。たとえば調子がいい馬は歩き方から違う。堂々としているし、何か力が伝わってくる」
「お前の馬からは何かが伝わってくるような気がするな」
「・・・なら買ってくれ。一番人気なのであまりつかないが、記念になる」
「ああ、こういうのは・・・なんと言ったっけ?」
「単勝だ。マークシートを塗り間違えないでくれよ」
「わかった」
ビッテンフェルトは、昨日文具店で買った「マークシート専用鉛筆」と「マークシート専用消しゴム」を手に、馬券売り場へと向かう。ミュラーがそれに続く。

「閣下は買われないのですか?」
ビューローの問いに、ミッターマイヤーは馬券を見せる。
「昨日、場外馬券売り場で買った。今日はレースに集中したいんだ」
「子どもを初陣に出す心境ですか?」
「まあ、そうだな。無事に回ってくれば、それでいい。・・・一番人気など、荷が重い」
「大丈夫ですよ、あの馬は勝ちます」
断言するビューロー。
ミッターマイヤーは笑ってそのビューローの一言に応える。

騎乗命令(レースがもうすぐ始まるので、馬に乗るように騎手に言うこと)が出る。
騎手がそれぞれ馬にまたがり、いよいよ10分後にはレースが始まる。


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今回は解説ばっかり(^^ゞ まだヒューベリオンも走ってくれないの・・・。

ヒューベリオンのモデルは、競馬ファンならわかるかもしれません。
「帝王」と言われた皇帝の息子、そしてみつえが大好きだったあの奇跡の馬です。
(ただあの馬は「外国産馬」ではありませんでしたけれど。)

・・・・・・あ、同盟の方々が出ていないわ( ;^^)ヘ.. 次で出しましょう、っと。