(8)
ビューローには甘えていないつもりだった。 しかし。 宇宙への演習にビューローが出かけていき、ミッターマイヤーは初めて、自分がビューローに甘えていた、という事実に気がついたのだった。 部屋に帰っても、一人でいると落ち着かない。 いつものように、ふたり分のベッドメイクをし、靴を磨く。 ・・・磨くべき靴が一つしかないことが、なんだか寂しい。 一人ではいたくないので、仕方なく、談話室へと行く。 「あれ?ミッターマイヤー、珍しいな」 同級生が話しかけてくる。 「お前、なかなか部屋から出てこないからさ、先輩からよっぽどいじめられているんじゃないかって、みんな心配してたんだぜ」 「ふうん、そうなんだ」 ・・・部屋からあまり出てこないのは事実だった。 例の賭があるので、先輩たちがちょっかいを出してくるのが煩わしい。 それよりも、一人でレポートやシミュレーションをしていた方が気が楽だ。 それに部屋にいると、ビューローがいろいろとアドバイスをしてくれた。 「お前もたまには来いよ。いつも先輩たちとばっかり話していると、息が詰まるだろ?」 「息が詰まるなんて、そんな」 「いいっていいって。おまえ、ビューロー先輩と一緒なんだろ? あの人、まじめだからな。いろいろ大変だろ?」 「い、いや、大変だなんて、そんな」 「おい、ここでは本音言っていいんだぞ。みんな先輩たちには辟易してるんだ」 「へ、へえ・・・」 「いちいちうるさいしさ、休日もいろいろと口出してくるしな」 「そうそう、『1年生は女の子のことなんか考えなくてもいい』って、言われたぜ」 「おれは『家族にたまには連絡しろ』だってさ。私生活まで口出して欲しくないよな」 ・・・自分は、変わっているのだろうか、とミッターマイヤーは考える。 自分はそう言うことを考えたこともなかった。 どうやらみんな同室の先輩を煙たがっているようだ。 そして、ここ談話室はお互いの愚痴の言い合いになっているようだ。 ・・・特に今日は、先輩方が宇宙に演習に行っているだけに、口も軽くなる。 「そういえば、ミッターマイヤー、お前、賭の対象になってるんだって?」 「え?ああ、そうらしい」 「賭って?」と、あまり話したことがない同級生。 「何だ、お前、知らないのか?・・・あのな、こいつの唇を誰が奪えるのかという賭だ」 「ミッターマイヤーの唇?何考えてるんだ?」 「全くだ。こいつ、腕っ節が強いのにな」 「ちびだからみんな知らないだけだよ」 「そうだな、見ただけじゃ誰もそうなんて思わないもんな」 言いたい放題だ、ミッターマイヤーは少々うんざりする。 「・・・しかし、な、ミッターマイヤー。チャンスだぞ」 「チャンス?」 「いや、この際だ、お前の唇を高く売りつける」 「!ばか!!何言い出すんだ!?」 「いいじゃないか。どうせ男同士だ。女性とキスするわけじゃなし。 1分くらい我慢すればいれでいいんだろ?」 「冗談じゃない。おれはいやだ。おれの唇はそんなに安くない」 「最初はみんなそう言うけどな、一回やっちまえば、あとはそういやなものでもないぞ」 「何言うんだ!本当に!!」 ミッターマイヤーはぷい、と談話室を出て行く。 「お、おい、怒ったのか?」 「怒ったんじゃない、ちょっと外に出てくるだけだ!」 ミッターマイヤーはそう言うと、談話室を出て、夜の中庭へと向かった。 外の空気は気持ちいい。 士官学校のまわりには自然が少ないが、それでも夜の空気はやはり違う。 いのちの静かな息づかいが聞こえてくるようだ。 ミッターマイヤーは大きく息を吸い、胸の中に冷たい空気をいっぱい吸い込む。 ・・・身体中が、不思議な感触に包まれていくようだ。 と、そのとき。ミッターマイヤーは人の気配を感じた。 ふたり・・・3人・・・、いや、5人はいる。 どうやら、“優しい”先輩方のようだ。 ビューローがいない今なら、ミッターマイヤー組み安し、と思ったのだろう。 殺気とまでは行かないが、自分に対して危害を加えようと言う意志だけは強く感じられる。 ちょうどいい、諸先輩方には気の毒だが、鬱憤はらしにつきあってもらおう。 ・・・鬱憤?何に対しての鬱憤だ? そんなの、わからない。 しかし、なぜだろう。今、自分はいらいらしている。 「そんなところに隠れてないで、出てきたらどうです? それとも、一年生にやられるのが怖いのですか?」 闇に向かって、ミッターマイヤーが叫ぶ。 がさがさ、と人の気配が動く。 「もうお会いできないのですか?」 そう言って、今日の女は抱きついて、泣いた。 泣き落としなどまっぴらだ。 どうして女は自分の涙が男の心を動かすなどと信じているのだろう? ロイエンタールは首を振る。こう言うことを考えること自体、ばかげている。 心など、どこにもないものを。 いつものように、茂みの中にある抜け道を通る。 中庭を抜け、シャワールームから中へと入る。 ・・・しかし、今夜は、中庭が騒がしい。 人が倒れる音、うめき声、そして、殴る音。 ・・・リンチか、初めはそう思った。 しかし、この音は。どうも一人をいたぶっているような音ではない。 時々聞こえるうめき声は、数人のものだ。 「もう、終わりですか?」 聞き覚えのある声だ。 ・・・ああ、あいつだ。ロイエンタールは思い出した。 ここで、タンポポと一緒に昼寝をしていた、大きなタンポポの声だ。 けんかか?そう言えば、今年の賭はあいつがターゲットだと言っていたな。 ・・・・・・そっとのぞくと、暗い中庭にロイエンタールも知っている3年生が6人倒れている。その倒れている生徒の真ん中に立っているのが、あいつだ。 まるで蜂蜜色の台風だな。ロイエンタールはぼんやりとそう言うことを考える。 「・・・まだいるんですか?」 警戒したような声。 「・・・おれだ」 ロイエンタールはミッターマイヤーの前へと進み出る。 「・・・あなたは」 中庭で一度会った。あのときは、名前を知らなかった。 確か、オスカー・フォン・ロイエンタールだ、とビッテンフェルト先輩が教えてくれた。 「大丈夫だ。おれは、あいつらの仲間じゃない」 「何をしているんです?こんな夜に」 「女のところから帰ってきていた。お前は?」 「お、おんな?」 ミッターマイヤーは、自分のことのように赤くなる。 女の子。ミッターマイヤーにとっては、全く未知の存在だ。 「・・・それはいいから。・・・こいつら、賭けの関係者か?」 「賭のこと、ご存じですか?」 「ああ。で?こいつらは?」 「実力行使に出たんでしょう。おれを押さえつけて、無理矢理・・・だから、思いっきり蹴り上げてやりました」 どこを、とは、ロイエンタールはあえて聞かない。 「・・・使い物にならなくなったら、大変だぞ」 「手加減はしています」 くしゃくしゃの髪の毛のまま、ミッターマイヤーはにっこりと笑う。 「恨みを買ってもしらんぞ」 「いっそ、その方が気持ちよくていいですよ。かげでなにかされるより」 その笑顔も、その言い方も、なぜか、好ましいもののように、ロイエンタールには思えた。 そして、そう思う自分が不思議だった。 |
ああ、終わりそうもない・・・いったい何話になるんだろう? 大体出てこないはずの人が、また出てくるし(;_・) この際もうとことんやってやるわ!そうよ、やってやるわ!! ・・・こりずにつきあってくださいまし。 |